
日米友好ムードを醸成するためか、最近とみに、街路樹として植樹されることが多くなったようで、盛んに目にするようになりました。


“ハナミズキ”の名は、ミズキの仲間で花が目立つことに由来するそうで、また、アメリカヤマボウシの別名は、アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることからとのこと。
ただし、花びらのように見えるのは総苞(そうほう)と呼ばれる、つぼみを包んでいた葉の変化した部分で、実際の花序(かじょ)は、中心の塊になった直径5mm程度の目立たない花が集合している部分だそうです

私にとって“ハナミズキ”と聞いて思い出すのは、何といっても一青窈(ひととよう)さんの楽曲です

実際2004年に、ベストヒット歌謡祭ゴールドアーティスト賞・日本有線大賞優秀賞を受賞されていますね。
この曲は、2001年9月11日におきた米国同時多発テロをうけ、平和を願い書いた詞だったとのことで、一週間ほどで書き上げたそうです

また、この曲のモチーフとなっているのが、かつて明治45年(1912年)に当時の尾崎行雄東京市長が米国に“サクラ(ソメイヨシノ)”を寄贈した返礼として、大正4年(1915年)と大正6年(1917年)に米国から“ハナミズキ”が贈られてきたという故事であるそうです。
この時、日本から贈呈した“サクラ”は、ワシントンのポトマック河畔のサクラ並木として名所となり日米友好交流の象徴となっています。
このような背景を持つ、意味深な歌詞の“ハナミズキ”ですが、今でも多くの人々の心を捉えて止まないようです

そんな感動的な作詞の能力や、歌唱力のある一青窈さんですが、四柱推命的にはどのような背景があるのかと気に掛かり、早速、生年月日を調べてみました。
以下が、その命式となります(生時不明)。

一つ目の特徴としましては、日柱天干が「乙(きのと)」となっていますが、これは“天干従化”という看法によると“作傷官(なすしょうかん)”となります。
これは、天干星で言ったら「傷官」のような働きがあるということですから、当然、繊細な感受性を持っており、特殊才能で生きて行く方が多くなります。
また、「乙」の下に「女」を付けると「おとめ」となりますから、“想像力・理想主義・温和・柔軟性”を司り、女性には良い日干です

二つ目の特徴としては、日柱干支が「乙亥(きのとい)」となり、これは別名”山頭火(さんとうか)”といわれています。
日支の戌亥(乾)は「天門」と称して、これに納音が火性となることによって、天の門に火が高く燃え上がり、光が高きに至るという象意を表しています。
従って、非常に活気がある状態であるということです

十二運が「死」となってはいますが、“山頭火”という強い納音となっているので、決して運勢が弱いという訳ではありません。
四柱や大運にもよりますが、基本的に同じ“山頭火”の「甲戌」に比べると、運気の発展が遅い傾向にありますが、中年以降からは安定して行きます。
職業的には技術的な方面に才能を伸ばす人が多く、女性は美容師・デザイナー・手芸関係等で世に出ていく人も多い干支です。
四柱の変通星に印綬・傷官の才能の星が並出し、ある程度比肩星が強ければ、世に出て成功する形になります。
ただし、注意すべき事は、人に媚びることが出来ず、やや人間関係が下手なので、その点で苦労をする人が多いものです

女性は運気的には悪くないのですが、やはり異性問題のしがらみが出てきます。
男性に対する好き嫌いがあるので、結婚が遅れる傾向もあり、出来れば早く結婚して子供を作ることが理想となります。
これらも、ほぼ言い当てているものと思います。
一青窈さんは、まだ、結婚されていないと思いますが(かつて、不倫報道があったようです)、この辺りに原因があるのかも知れませんね。
三つ目の特徴としては、月柱・時柱の並びが「食神」・「傷官」となり、この食傷星が並ぶ形式を当流派では“仮傷官(かしょうかん)”と呼んでいます。
この意味するところは、本来“成財・人気運”を司り“福禄の星”である「食神」が「傷官」と並ぶことによって、その本来の性質は残しながらも、“傷官化”してしまう(仮面を被ってしまう)ということです。
性格としては、非常に感受性が強く、人の心を見抜いてしまうところがあります。
また、理想が高く、時に妥協しないので、トラブルの元となることがあります。
この並びは、野球のイチロー選手の様に特殊な才能に恵まれる並びです

感覚的なものが鋭いので、人を傷つけ、自分も傷つきやすいデリケートな神経をもった並びです。
強そうですが、壁にぶつかると弱いところがあるので、子供の頃からスポーツなどをして精神面を鍛えることが大切となります。
基本的に、流年・大運が「財星」の時に運気が上昇します。
また、流年・大運の「官星」の時に凶事(怪我事故や社会的問題)がおこりやすいので注意して下さい。
一青窈さんは、小学校高学年の頃、宮沢賢治の詩に触発され、詩を書き始めたそうで、2002年「もらい泣き」でデビューしたきっかけも、これらの書きためていた詩がレコード会社の目に留まったことだったそうです。
これらはまさに“仮傷官”のなせる業ということができるでしょう

さらにいうと、顔立ちを見ましても、あごの尖った“傷官美人”タイプといえそうです

四つ目の特徴としては、四柱の天干に“乙・丙・丁”が並び「地下の三奇」となっていることです。
「三奇」とは人間の願望である福禄寿を併せ司る神で、「三奇」が命式中に揃えば“精明にして常人と異なる・卓越・博学・多才・多能・探究心がある・志が大きい”等、逸材であるとされてきました。
また、「三奇」が年月日、または月日時と続けて出て順となれば、“貴・清・秀”が備わり、“人の長たり得る”ともされています

芸能界に彗星のように現れ、大ヒットを飛ばした背景には、この「三奇」の力があったのかもしれませんね。

上図は、一青窈さんの大運表となりますが、2002年「もらい泣き」でデビュー、同曲がヒットし、ファーストアルバム『月天心』で大ブレイク

それにより、数々の音楽賞や新人賞を受賞されたわけですが、大運「偏印・沐浴」の“倒食”期間が終わり、「印綬・冠帯」というまさに“過去の業績が評価される”期間に起きた出来事であったことが分かります。
しかし、それまでの幼少期・青年期は“荒れる”運気で、幼稚園卒園後の台湾から日本への移住、小学校2年の時に父親を癌で亡くす、高校生の時に母親も癌で亡くす等、数々の試練をくぐり抜けて来られていました。
以上、簡単に一青窈さんの命式を看て見ましたが、ある意味、分かりやすい例ではあったなと思います。
大運表によりますと、少なくとも数えで50歳までは好運気が続くことが期待できますので、今後益々、多方面で活躍されることを期待したいと思います


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