2014年06月30日

26歳で早逝したミュージシャンの尾崎豊さん

最近、私がファンでもあり、カラオケのレパートリーともしている尾崎豊さんの楽曲を、あらためて聴き直す機会がありましたカラオケ

その尾崎さんですが、1983年12月、18歳になったばかりの時に、シングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』でプロ・デビューを果たしましたぴかぴか(新しい)

破滅的で体当たりなパフォーマンスや自己の内面を抉り出すような赤裸々な歌詞の中で、真実の愛や夢、生きることの意味を追い求め続けます。

学校や社会の不条理に立ち向かう心の叫びのようなその音楽の世界は、1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼び“10代のカリスマ”的存在となりましたグッド(上向き矢印)

4thシングル『卒業』が大ヒットを記録。
その後も、『I LOVE YOU』『OH MY LITTLE GIRL』『僕が僕であるために』などヒット曲を連発します。

その活動と作品・精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは、亡くなってから20年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンからリスペクトされ続けています。

1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、当時、社会的にも大きな衝撃を与えましたがく〜(落胆した顔)

実際、1ヶ月にも及び、民放のみならずNHKも含めたテレビ各局は連日のように尾崎さんの特集を組みましたし、雨の降る中、東京都文京区の護国寺にて行われた葬儀・追悼式では、参列者は4万人近くに上ったそうです。

死後20年を過ぎてもなお、尾崎さんを慕うものは絶えず、新たなファンを生んでおり、彼が遺した曲の数々は多くのアーティストにカバーされていますグッド(上向き矢印)


そんな、波乱に満ちた尾崎さんの生涯でしたが、四柱推命的には、一体どのような背景があったのかと気に掛かり、早速、生年月日を調べてみました。

そうしたところ、出生時刻に関する情報もありましたが、卯刻(5〜7時)説と辰刻(7〜9時)説があり、より適合すると思われる“卯刻”を採用しました。

下図が、その命式となります。

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一つ目の特徴としては、日柱天干が「丁(ひのと)」となりますが、これは陰の火で、“灯火・人工の火”に譬えられますひらめき

一般的に、我々人類の文明が“火”を使うことによって進化してきたと言われているように、「丁」には“文化・文明・学問・啓蒙等”の意味合いがあります。

尾崎さんは、その音楽作品・パフォーマンスを通じて、一時代の若者の“思想的・精神的なリーダー”であったことは言うまでもありませんグッド(上向き矢印)


二つ目の特徴としては、日柱干支が「丁亥」となり、これは別名”屋上土(おくじょうど)”と言われています。
これは屋根の上の土という意味で、この土は大地に帰る事がないとされますので、“孤独性”を意味しています。

土は墓庫ともなり、堅実に財を築いて行く理財・利殖の才を持っています。
しかし、マイナス点としては吝嗇・けち・物を惜しみをする傾向があり、その為に人に良く思われず、人が自分から離れて行ってしまい孤独となりやすいので、その点に注意が必要です。

人に親切を尽くし、人に徳を蒔かないと孤独になってしまうよ、という星です。
そうしないと、本人には悪気はなくても、人間関係で引っかかり、寂しく侘しい人生になりやすいものです。

また、十二運が「胎」となりますので、子供の頃は甘えん坊で、長く親の手が掛かり、独立するのが遅くなります。
しかし、幼児期には病気がちであっても、やがては健康は回復します。

長じて実力がつくにつれ、個性的な人となりますが、同時に融通が利かなくなる傾向もあります。
そして、他人とは違う独自路線の“一匹狼的な傾向と個性”が顕われやすいものです。


三つ目の特徴としては、月柱・時柱の並びが「比肩」・「偏官」となり、この比肩星に官星が混じった星の並びを当流派では“官殺混雑”と呼んでいます。

一見すると紳士淑女風で、おとなしそうですが、言い出したら聞かないところがあります。
好き嫌いがはっきりしていて、物事の白黒をハッキリさせようとするタイプです。

プライドと責任感・正義感が強く、人に指図されることが余り好きではありません。
四柱や五行に、印星や財星が少ないと、おっちょこちょいになってしまいます。

好奇心も旺盛で、一年中忙しい人です。
行動力があり、じっとしていられないので、デスクワークよりも外交等の動き回る仕事がの方が向いています。


四つ目の特徴としては、年上天干星が「偏印」となり、十二運も「帝旺」と極旺しています。

「偏印」は“学問・芸能”を表す星で頭脳的な面が強く、内的・精神的世界に関心を持つ傾向から思想性や宗教性の強い星ですぴかぴか(新しい)同時に放浪癖の暗示もある星です。

また、「偏印」は数理という意味もあり数字を扱う仕事やコンピュータ等の技術職に携わっている人も多くいます。
人とは少し角度の違う見方をもっているのでアイデアマンであったり、人の気づかない事に気づく才能もあります。

しかし、「偏印」には“病気”という意味もあるので慢性病に注意が必要であり、特に「食神」と並ぶと“倒食”となり、「食神」の福禄を壊してしまい、人生ままならなくなります。
歳を取ると口うるさくなる点と、終始一貫性に欠けるのが「偏印」の欠点です。

この「偏印・帝旺」が尾崎さんをして、ミュージシャンとして成功させた、一番重要な要素だったと言ってもいいでしょうグッド(上向き矢印)

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上図は、尾崎さんの大運表となりますが“逆行・7年運”となっています。

1979年(14歳)から「偏印・長生」の大運に入っていますが、この年に初めて仲間とバンドを組み、ある意味“芸能活動”を開始しています。


1982年 流年が「正官・養」

10月11日、CBSソニーのオーディション『CBS SONY Sound Development Audition 1982』にて「ダンスホール」と「もうおまえしか見えない」を歌う。

11月20日、オーディションに合格。辻仁成と共に、1982年の最優秀アーティスト賞に選出される。


1983年 流年が「偏官・胎」

12月1日、アルバム『十七歳の地図』、シングル「15の夜」でプロデビュー。


1985年 流年が「偏印・墓」、「巳酉丑」の金局で「財星」が現れ、“財官印三宝”となり好運気を予想させる。

1月21日、シングル「卒業」がオリコンチャート初登場で20位を獲得、歌詞の一部の過激な表現が話題となる。

3月21日、2枚目のオリジナル・アルバム『回帰線』が初登場1位を獲得する。

3月、渡米。約1ヶ月の休暇をニューヨークで過ごす。

8月25日、初の単独野外スタジアムライブとなった大阪球場での公演で、2万6000人を動員する。

11月14日・15日、代々木オリンピックプール第一体育館にてライブを行い、2日間で3万人を動員する。

11月28日、20歳の誕生日前日に10代最後となる3枚目のオリジナル・アルバム『壊れた扉から』をリリースする。


1986年 この年から、大運が「印綬・沐浴」に、流年は「劫財・死」
「沐浴」の“荒れる運”が現象し始める。

1月1日、福岡国際センターにてライブを行う。このライブ後に“無期限活動停止”を発表。

6月9日、単身でニューヨークへ渡る。

12月23日、日本に帰国。


1987年 流年は「比肩・病」

2月10日、CBSソニーから新レーベル・MOTHER&CHILDRENに移籍。同レーベルにはHOUND DOGも所属していた。

7月1日、1年と7ヶ月ぶりのライブツアーがスタート。

8月29日・30日、有明コロシアムで公演。2日間で約2万人を動員する。

9月28日、公演会場に入るも、ライブ前に倒れ、帰国後初のライブツアーが中止。

10月21日、初のライブ・アルバム『LAST TEENAGE APPEARANCE』をリリースする。

12月22日、覚せい剤取締法違反で逮捕。


1988年 流年は「傷官・衰」

1月11日、覚せい剤取締法違反で起訴。

1月21・22・25・26日に予定されていた初の日本武道館公演が幻に終わる。

2月22日、東京地方裁判所刑事11部第531号法廷にて、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決が下される。午後1時30分ごろに東京拘置所から釈放。

5月12日、繁美夫人と入籍。

6月22日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に最初で最後のテレビ出演。同月21日に発売された新曲「太陽の破片」を歌う。

9月1日、度重なる発売延期を乗り越え、4枚目のオリジナル・アルバム『街路樹』をリリースする。

9月12日、東京ドームで一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」を行い、5万6000人を動員する。


1989年 流年は「食神・帝旺」

7月24日、長男・尾崎裕哉が誕生。


1990年 流年は「正財・建禄」

1月、所属事務所をデビューから在籍していたマザーエンタープライズから浜田省吾の在籍するROAD & SKYに移籍する。

10月21日、レコード会社を再びCBSソニーに移籍。

11月15日、5枚目のオリジナル・アルバム『誕生』(2枚組)をリリースする。

12月19日、個人事務所・ISOTOPE(アイソトープ)設立。


1991年 流年は「偏財・冠帯」、「亥卯未」の木局で「印星」が現れる。

3月、雑誌『月刊カドカワ』での対談がきっかけとなった女優・斉藤由貴との不倫が発覚。その後10月に別離したことが報じられる。

3月、公式ファンクラブ「Edge Of Street」設立。

3月21日、シングル「I LOVE YOU」をリリースする。JR東海のCMに使用され、話題になる。

5月20日、3年ぶりのライブツアーが横浜アリーナでスタート。

10月30日、代々木オリンピックプールにてライブを行う。結果的にこれが生涯最後のライブとなった。生前最後に歌った曲はオーディションでも歌われた「ダンスホール」。

12月29日、母親が急死。「印星」とくに「印綬」は“母親”の象意がある。


1992年 流年は「正官・沐浴」、いわゆる“大運の最後っ屁”の年。
大運の最後の年には、その天干星の象意がより強く現れると言われています。
また、大運・流年ともに荒れる“沐浴”の十二運となっています。

4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭にて泥酔状態で発見され、警察に通報される。
救急車で墨田区の病院に運ばれ診察を受け、妻と兄と共に自宅マンションに帰宅する。

その後、夫人・兄・マネージャーが見守る中、自宅マンションで暴れたり眠ったりを繰りかえしながら、突如危篤状態となり、救急車で日本医科大学の緊急病棟に収容される。

蘇生措置がされるが午後0時6分死亡。享年27(満26歳)。
死因は泥酔(あるいは薬物中毒)による肺水腫。

4月30日、東京都文京区の護国寺で行われた追悼式には3万7500人ものファンが詰め掛ける。


以上、尾崎さんの略歴を振り返ってみましたが、ほぼ「大運・流年」の象意通りの流れとなっていることには、驚かされます。
この行運の正確さは、安田流四柱推命の真骨頂でもあります。


さらに突っ込んで看ますと、尾崎さんの命式において、日支・月支の「亥」が「天乙貴人」となっていますが、この星は、“聡明で、身に品位が有り卑しからず、人の引立てを受けて発達する。凶を吉化する徳がある”と言われています。

しかし、この「天乙貴人」は“刑冲を嫌い、合する事を喜ぶ”とも言われます。
日支・月支の「亥」が自刑、年支の「巳」と日支・月支の「亥」が冲となることから、この効力を発揮できなかったようですバッド(下向き矢印)


また、死因に関して“他殺説”が取り沙汰されることもありますが、生時と生月との関係から導き出す「命宮」という看法でみますと、これが「偏印・病」となります。

この「命宮」は、“人生の帰趨”として判断する事ができますから、他殺ではなく、“病あるいは中毒”で亡くなられた可能性が高いものと思われます。


いずれにしても、亡くなられた年が、一番の山場と言うか、困難な年であったことは確かでしょうバッド(下向き矢印)

しかし、それ以降の大運を見てみると、まだまだ運気的には活躍が期待できるものとなっていますので、非常に惜しまれるところですふらふら

将に流星のごとく、激しく燃焼し、駆け抜けた一生でした。
尾崎さんの後世に遺された、その作品・魂の叫びの影響力に敬意を表しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。



この「太陽の破片」は、覚せい剤取締法違反で逮捕・起訴後の復帰曲で、「太陽の破片」と言う言葉は、作家の村上龍氏の小説に書いてあったものらしく“涙”の比喩とのこと。

与えよ、さらば与えられん
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posted by 田島明徳 at 21:08| Comment(2) | 四柱推命鑑定例
この記事へのコメント
田島様
昨日は鑑定にてお世話様になりました。
読み解く力は、観る方によって当然ながら違うものになるのが四柱推命や占星術などの世界かと思っております。
だからこそ、その解く方向や見方が助けになるのだと改めて感じました。

真摯に解答くださり、感謝しております。
これからの活躍と御健闘をお祈り申し上げます。
Posted by Fairytale at 2014年07月28日 11:39
Fairytaleさん、コメント頂きありがとうございます。

ムスメさんの件は一段落着き、本当によかったことだと思います(^^)

今度は、Fairytaleさんの事業の方が正念場を迎えますが、あまり無理をなさらず“楽しみつつ”頑張って頂ければ、と思っています。

今後とも、よろしくお願い致します。
Posted by 田島明徳 at 2014年07月28日 20:51
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