2012年08月15日

本日は67回目の終戦記念日

本日8月15日は、67回目の終戦記念日でした。
ラジオを聴いていたところ、伊勢崎市文化会館で「戦争と平和展−67年前の伊勢崎市・佐波−」と題する展示会をやっているとのこと。

こういう機会に67年前に実際にあったことを少しでも肌で感じてみることはいいことだろうと思い、さっそく出掛けてきました。
実は、うちの母親から命からがら焼夷弾から逃げた体験談を聞いていたこともありました。人が燃えているのも、見たそうです。


伊勢崎空襲(いせさきくうしゅう)とは、1945年(昭和20年)8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けた米軍による空襲のことです。

84機の米空軍B24爆撃機・戦闘機が伊勢崎市と周辺の佐波郡3村に飛来し614.1tの焼夷弾、27発の爆弾を投下しました。

空襲は終戦日となる8月15日未明まで続き、この空襲で罹災者8,511人(人口罹災率21.3)、死者29人、重軽傷者150余人、1943戸の家屋が焼失(共に伊勢崎市の被害のみ)しました。

市街地の約40%が焼失しましたが、空襲当日が無風状態だったことや広大な防空空き地を設置していたために類焼が食い止められ、人的被害は最小限に抑えられたとのこと。

しかし、その約9時間後にラジオから流れた「玉音放送」が敗戦を告げたことは、なんともやりきれない思いだったことでしょう。

会場入り口
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こじんまりした展示会場
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燃える伊勢崎女学校
県立伊勢崎女学校美術教師 松本喜代次画
火の勢いがすごく、消し止めるどころの騒ぎではなかったとのこと。
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校内に防空壕を掘る伊勢崎女学校生徒
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M69集束焼夷弾分解図
ほぼ実物大の焼夷弾分解図です。実物は全長2m位あったようです。
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軍事教練でしょうか?竹槍を持ってます。
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火の雨となって降りそそぐ焼夷弾(左)と焼け跡に残った市役所屋上から見た市街地(右)
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集められた焼夷弾のパーツと模型
手前にある円形の鉄の塊は弾頭のウエイトで、重さ25Kgもあります。
こんなのが雨あられと降って来たら、たまりませんねふらふら
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学徒動員された方の体験談のDVDも観られます。
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最後にパンフレットに書かれていることから引用です。
「<歴史に学び改めて考える>戦争の犠牲となるのは、つねに普通の国民=庶民です。国民を戦争にあおりたてた政府・マスコミ、それにあおられ社会風潮に流されてゆく国民。大人も子どもも戦争へと進んでいきました。そして悲惨な結果を見出すこととなりました。歴史に学ぶことの大切さを少しだけ紐解いてみます。」

明日(16日)も午前9時半〜午後6時までやってるそうです。
入場無料ですので、お近くの方は是非、ご覧になってはいかがでしょうか?


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タグ:日記 戦争
posted by 田島明徳 at 20:05| Comment(0) | 日記
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