2012年08月21日

「旱魃」

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最近、アメリカ・アルゼンチン・ブラジル等において旱魃(かんばつ)が起き、トウモロコシ・大豆の生産が壊滅的打撃を受けているようです。

これによる供給不足で、トウモロコシと大豆のシカゴ先物価格が急騰している現状です。

これは、世界の人口増加・異常気象の影響と相まって、世界的食糧難の時代が現実味を帯びてきたと言えそうです。
特に、食糧自給率が40%を切っている日本にとっては重大な問題となることは必至です。

早急に食糧自給率を上昇させるための施策を執らなければならないと思うのですが、あなたはどう思われますか?


さて話は変わり、この「旱魃」とは”ひでり”のことですが、これも実は故事成語であるとのこと。それは、以下のエピソードによります。

『古代五帝の黄帝(こうてい)は”たく鹿(たくろく)の戦い”の時、敵の出した濃霧に苦しめられました霧

大雨を降らせて対抗しましたが、敵の暴風雨に敗れてしまいました台風

そこで黄帝は娘の魃(ばつ)を呼びました。

その体内には猛烈な情熱が蓄えられていて、暴風雨は跡形も無く消え、空には烈日が照るようになりました晴れ

魃が雨を止めることで無事勝利を掴んだ黄帝でしたが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなり、地上を転々とすることとなりました。

彼女の居る所はひでり(旱)が続き晴れ、やがて”旱魃”と呼ばれ憎まれるようになったとのこと。』


この話の中に出てくる”魃(ばつ)”さんはもしかしたら「丙午年生まれ」だったのでしょうか?
もしかしたら、このブログをご覧になっているあなたも「丙午年生まれ」かも知れませんねふらふら

しかし、ご安心下さい。
四柱推命で注意を要するのは「丙午年生まれ」ではなく「丙午日生まれ」であるからですグッド(上向き矢印)

今日でも迷信として「丙午年生まれの女は男を食い殺す」などと言って、毎年丙午の年は出生率が下がると言われていますバッド(下向き矢印)

戦後になっても「丙午」の迷信は尾を引き、1966年(昭和41年)の丙午では、子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が地方や農村部を中心に多く、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なくなったそうです。

その「丙午迷信」の由来が、歌舞伎や浄瑠璃で有名な「八百屋お七」です。
八百屋お七は寛文6年(1666年)の生まれですが、この年がまさに「丙午」の年であったのです。

お七は天和2年(1682年/壬戌年)12月の大火で正仙院(一説に円乗寺)に避難したときに、寺の小姓と恋仲となり、翌年天和3年(1683年/癸亥年)3月にその小姓と再会したい一心で放火、捕らえられて引き回しのうえ、3月29日(西暦:1683年4月25日/癸亥年丙辰月辛未日)に火刑となったものです。

お七の四柱八字は判りませんが、火が太過するか炎上格となり、水尅火となっていたのでしょう。


四柱推命学では年の干支よりも、日干支を重要視しますから、「丙午年生まれ」の女性が偏見にあうことは、悲しむべきことです。
しかし、「丙午日生まれ」となるとちょっと話が変わってきます。

「丙午日生まれ」は「戊午日生まれ」や「壬子日生まれ」と共に、十二運が最強の”帝旺”、宿命星・日刃がつき、男女とも非常に強い性格となり結婚相手との間に支障をきたしやすいとされるからです。

男性はワンマンな亭主関白、女性もカカア天下で、家長になるべき夫の面目まるつぶれになることから「夫を食い殺す」などの迷信が生まれたのかも知れません。

ですから「丙午日生まれ」の女性はその点をよく理解し、夫に食ってかかるような事はせず努めておしとやかにするよう心掛けないと、結局は自分が辛い思いをする事になりかねません。

どうぞ、ご注意下さいわーい(嬉しい顔)



与えよ、さらば与えられん
posted by 田島明徳 at 18:43| Comment(0) | 故事成語
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