2012年09月02日

「嗟来の食」

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春秋の頃、斉の国は大飢饉にみまわれ、食糧が不足したため、多くの民がやせ衰え死を待つばかりになってしまっていました。

その様子を見た黔敖(けんごう)というお金持ちは、道の傍らで料理をし、食べ物を並べ、通りがかりの餓えた人々に施しを始めましたグッド(上向き矢印)

ある時、ぼろぼろの衣服の袖で顔を覆い、破れた靴を履き、よろよろと今にも倒れて死にそうな様子の者がやって来ました。ひどく餓えているのは一目瞭然です。

そこで黔敖は左手に食べ物をもち、右手に飲み物を持ってその男に尊大な態度で話しかけました。
「おい、そこの! こっちにきて喰らえ。」

しかしその男は、いまにも倒れんばかりの様子だったのがウソであるかのように、キッと顔を上げ、黔敖を見据えてきっぱりと言い放ちました。

「私はそのような無礼な『嗟来の食(さらいのし)』はいっさいお断りをし、食わずに来ました。それゆえに、このように餓えてふらふらになったのです。」
男は、黔敖たち“施す側”の偽善を指摘したのですexclamation

黔敖はかなりのショックを受け立ち尽くし、また自分の無礼さに恥じ入りました。
その男の後を慌てて追いかけて、自分がしたことを詫びました。

しかし、その男は黔敖の差し出す食べ物についに手を出す事無く立ち去り、しばらく行ったところで倒れて餓死してしまいました。



「嗟来の食」とは、「嗟、来たりて食せ。」を略したものですが、『嗟』とは無礼な態度で発する呼び声で日本語では、『おいこら』みたいなものですふらふら

よって、この故事成語には「無礼な態度で与える食べ物」「人を見下げた振る舞い」という意味があります。


例えば、現代におけるホームレス支援や災害ボランティア等にしても、そもそもは『お互い様』の精神、あるいは『惻隠(そくいん)の情』から行われるものだと思います。

「惻」は、同情し心を痛める意で、「隠」も、深く心を痛める意です。
したがって、人が困っているのを見て、自分のことのように心を痛めるような、自他一如(いちにょ)の心を『惻隠の情』と言います。

よって本来、する側・受ける側になんらの優劣もつきようがないもののはずです。

ところが、人は時として勘違いをしてしまいます。
『施し』とか『〜してあげる』といった言葉で自分が“持てる側”であることの優位を確認し気持ち良くなったり、『どうだ私は偉いだろう』などという気分になってしまいがちです。

これでは、徳行を積むどころか、悪行を積んでしまうことにもなりかねませんバッド(下向き矢印)
仏教にも、「心行が最も重い」という教えがあります。

この故事成語は「弱肉強食」化が進む現代社会に対する、戒めであるかもしれませんねグッド(上向き矢印)


与えよ、さらば与えられん
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posted by 田島明徳 at 21:48| 故事成語