2013年01月06日

歌集『一握の砂』で有名な石川啄木

現在、「四柱推命占い」と「手相占い」の鑑定をさせて頂いていますが、トイレに入っている時など、なまじ手相が看られるので自分自身の手のひらにしげしげと見入ってしまうことが良くありますあせあせ(飛び散る汗)

もちろんこの場合、現在の運勢を表しているといわれる”利き手”である右の手のひらで、何か変わったところがないかどうか、新しいマークが出ていないかどうかなどを看るわけです。

そこで思い出すのが、「はたらけど はたらけど猶(なほ) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」という石川啄木の歌ですグッド(上向き矢印)

啄木といえば、”貧苦と病気のため26年2ヶ月の若さで早逝した明治を代表する歌人”という位の認識しか持ち合わせていませんでしたが、この歌を詠んだ時、啄木は果たして”手相”を看ていたのかどうかなど、ちょっと気になりましたので、早速ネットで調べてみることにしました。

結論から言いますと啄木は”手相”を看ていたのでは無さそうですたらーっ(汗)
お金や幸せをつかむ事ができず、手から滑り落ちていくような気がしたから、思わず見つめてしまったというのが正解のようですね。
それが、『一握の砂』という歌集のタイトルに表れているのでしょう。

さらに言えば、実際のところ「はたらけど はたらけど猶・・・」と言う程には働いてはいなかったようですし、浅草の娼館に足繁く通い遊んでいたなど、「彼の借金のほとんどはこうした遊興に費やされ、それが為の貧困だった」と、同郷で最大の親友であった言語学者の金田一春彦は語っています。

東京に出てきた啄木は、朝日新聞社に勤めて30数円という当時の若者としてはむしろ恵まれた月収がありながら、それをさらに上回る浪費生活を送っていたのが真相のようですたらーっ(汗)

生年月日も分かりましたので、命式を出してみました。
下図のようになります(生時不明)。

s_ishikawa_meisiki.png

一つ目の特徴としては、日柱干支が「辛亥」でこれは別名”釵釧金(さいせいきん)”と呼ばれ、この釵釧とは女性が髪に飾る簪(かんざし)を意味しています。
この簪の喩えからも分かるように、この納音は贅沢さと虚飾性の意味合いを持っています。

女性は本来、華やかに飾ることが本能ですから良いのですが、男性は外観を飾り、中身の人間性が乏しくなってしまいやすいので、良くないと言われています。

従って、真実と誠実をもって人に接するように心掛ければ、運は開けますが、虚飾に生きた場合、調子よく早合点して失敗する事が多いので注意が必要です。

また、十二運が”荒れる”象意である「沐浴」となっているので、特殊な才能に長けている人が多い干支ですが、幼少期より苦労が多く、配偶者運も良くありません。

男性は女性問題を起こしやすく、金銭を浪費する傾向があります。
虚栄心が強いので、中年まで波乱も多く苦労があります。


二つ目の特徴としては、月柱の天干星が「劫財」となっています。

「劫財」は、比肩と同類の星ですから、個性と自我が強く我がままな面があります。

「強気の失敗」を意味し、良い意味でも悪い意味でも「ものに賭ける」という意味があり賭博的要素がありますので、大胆に冒険ができる星です。

ネアカですが、大風呂敷を広げる傾向があります。
財を流す星ですから、金銭的なトラブルの多い人生となりやすいです。

親兄弟の縁が薄く、中年期を中心として苦労と浮沈の多い人生となります。


啄木の場合、年柱の天干星が「正官」となっていますので、ある程度凶性を抑える働きがありますが、日柱干支の「辛亥」と相まって、この「劫財」の凶性を抑えることができなかったようです。

実際、啄木は相当の見栄坊で、金田一京助に下宿代まで払ってもらいながら、たまたま5円舞い込むと、それで一円五十銭の勘定をして、釣りはいらないと女中に与えるようなことを平気でしていたそうですたらーっ(汗)

金田一はそれを見ながら許していたとのことですから、真の友情があるならば諌めることがあってもよかったのでは?と思ってしまいますが・・・


以上、簡単に鑑てみましたが、日柱干支が「庚戌」・「辛亥」となったり、月柱天干星が「劫財」となる方は、よく人の話や忠告に耳を傾ける事が大切となります。
あとは、周りで金銭の出入りをコントロールしてやる必要もあるかもしれません。

芸術・文芸作品においては、「作者は作品だけで評価されるべき。私生活は関係ない。鑑賞のじゃまになるだけ」という意見も正論だとは思いますが、今回わたしはちょっと残念な気分になったのは確かですふらふら

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posted by 田島明徳 at 18:19| Comment(3) | 四柱推命鑑定例
この記事へのコメント
おめでとうございます。

石川啄木の誕生日ですが
金田一博士が記した石川啄木の伝記では
明治18年10月28日になっていました。

幼少時代から
親しい友人の伝記なので信用できるのでは
ないでしようか。

すると
乙酉 丙戌 丙辰日になりました。

こちらの命式のほうが
貧乏生活には 
ふさわしいと思いました。

生まれた時間は傷官あたりを
推測します。

失礼します。


Posted by ちからもち at 2013年01月08日 20:30
ちからもちさん、コメントありがとうございます。

私も、明治18年10月28日説があることは知っていました。
この場合、日柱の十二運が「冠帯」・納音が「沙中土」、月柱「比肩・墓」、年柱「印綬・死」となりますね。
確かに、可能性はあると思います。

しかし今回、啄木の数々のエピソードを聞くにおよび明治19年年2月20日の方がしっくり来るように思いましたので、こちらを採用しました。
Posted by 田島明徳 at 2013年01月09日 01:03
わかりました。
Posted by ちからもち at 2013年01月09日 09:22
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