2013年01月27日

元横綱大鵬の納谷幸喜さん死去

”昭和”という時代を象徴する方が、立て続けにお亡くなりになりました。

大相撲史上最多となる32回の優勝を誇り、昭和の高度経済成長期を代表する国民的ヒーローだった元横綱大鵬の納谷幸喜(なやこうき)さんが19日分、心室頻拍のため、東京都内の病院で死去されました。72歳でした。

1940年、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、第二次世界大戦終戦の混乱期に5歳で北海道に引き揚げました。
高校の定時制を一年で中退し、二所ノ関部屋に入門。56年秋場所、本名で初土俵を踏むこととなりました。

59年夏場所の十両昇進を機に大鵬と改名。60年初場所で新入幕を果たし、61年初場所で大関、同年九州場所で第48代横綱に昇進しました。
21歳3カ月での横綱昇進は北の湖(21歳2カ月)に抜かれるまで最年少記録でした。

同時に横綱に昇進した柏戸と大相撲の黄金期「柏鵬(はくほう)時代」を築きました。
全勝優勝8回、六連覇2回、45連勝など無類の強さを発揮。
人気は絶大で、子どもが好きなものを並べた「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語も生まれました。

71年夏場所で引退。一代年寄となり、大鵬部屋を創設し、関脇巨砲(おおづつ)らを育てました。
77年、36歳のときに脳梗塞で倒れたが、懸命のリハビリで80年に日本相撲協会の理事に就任。八期16年の在任中、名古屋場所担当部長を15年務めました。

2004年に娘婿の元関脇貴闘力の大嶽親方(当時)に部屋を譲り、05年に65歳で日本相撲協会を定年退職。
その後、相撲博物館の館長を08年まで務めました。09年に角界初の文化功労者に選ばれています。


その強さ、人気は無敵を誇ったV9時代の巨人と並び称されましたが、元横綱大鵬は反発しました。

「冗談じゃない。俺は裸一貫でやってきたんだ。金で選手を集めて強くなった巨人とは違うんだ」
16歳の入門時は184センチ、70キロそこそこ。努力で角界の頂点まで上りつめたプライド。だから「天才」と評されることも極度に嫌がりました。

まさに、「忍」「努力」が頭からつま先まで詰まっていました。
戦争で父と生き別れ、命からがら北海道に引き揚げましたが、ハーフというだけで、いじめられました。
角界入りするまで、納豆売り、土木作業、営林署での下草刈り、なんでもやりました。

親方業がこれからという時には脳梗塞で倒れましたが、「横綱になった者が病に負けるわけにいかない」と、左半身まひとの闘いに耐え、リハビリに邁進しました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2013012002000084.html

そんな、”努力の天才”であった元横綱大鵬ですが、四柱推命的にはどのような背景があったのかと気になり、早速、生年月日を調べてみました。

下図が、その命式となります(生時不明)。

s_taihou_meishiki.png

一つ目の特徴としては、日柱干支が「壬申」でこれは別名”釼鋒金(じんぽうきん)”と呼ばれます。
この釼鋒とはステンレスや鉄板のような金属を意味しますので、強靭な運を持っていて、精神的にも肉体的にも鋼鉄のように強い事が特徴ですグッド(上向き矢印)

どんなに叩かれようが何しようが、耐える時は耐え、そして伸びる時は伸びるという意味があります。
たとえ逆境に入っても、鉄板がよく跳ねるように、必ず跳ね返って来て運命に負ける事がありません。
性格も勘が鋭いために、物事の判断力が非常に的確で、世に出る人が多い干支です。

また、十二運が「長生」となることから、運気に福運があり、若い時には人の信頼と寵愛を受けられます。妻徳があって、結婚にも恵まれます。
職業は男性的な仕事が良く、五行・四柱が良ければ上部の仕事に就けます。


二つ目の特徴としては、月柱・年柱の並びが「印綬」・「偏印」となっています。
同じ印星の二並びですから、当流派では”多印身弱”の並びと呼んでいます。

この並びは、学問芸能の世界に生きる人が多く、学者・芸能人・アナウンサー・宗教家・易者・相撲取り等の職業につく人が多いものです。

性格は男性としては迫力がなく、優しく人当たりが柔らかい人が多いのですが、表面に比べ、内面には頑固さや拘りがあります。

特に偏印が混じっている場合には、慢性的な病気に注意が必要です。

五行に官星又は比肩星が強い方が持っている才能を発揮する事ができ、また、印綬は古典的なもの、偏印は近代的なものを志向する傾向があります。


特に、元横綱大鵬の場合、中心星となる月上天干星が「印綬」となり、これには古典芸能という意味もあり、伝統芸能的な職業に従事する人が多くいます。
礼節を重んじ、端正で上品な星でもありますから”相撲取り”はまさに適職であったと言えるでしょう。

また「印綬」は、こつこつと”努力”できる星でもあり、さらには人からの援助引き立てや良き理解者に恵まれる吉星ぴかぴか(新しい)ですから、元横綱大鵬を象徴する星でした。
(「辛」はこの命式内で”天徳星”でもあります。)

taihou_taiunn.PNG

上図は、元横綱大鵬の大運図となります。

元横綱大鵬が脳梗塞の発作に見舞われたのは1977年、36歳のときでした。
第48代横綱を引退し、大鵬部屋を創設してから6年目、日々弟子の指導に明け暮れている時でした。

若い頃は大変な酒豪で、一日の酒量が一斗(18リットル)に達し、ビールを一升瓶で20本(36リットル)飲んだこともあったそうですがあせあせ(飛び散る汗)、その飲酒量の多さが後に健康を害した大きな原因と言われています。

また、若いころから本態性高血圧と診断されていて、現役時代も、1964年の名古屋場所を本態性高血圧で休場しています。
向かうところ敵なし、と思われていた24歳の若き横綱に土をつけたのは高血圧という病でした。やはり、年柱天干星が「偏印」ですので、慢性的な病気には注意が必要でした。

この1977年の大運が「敗財・絶」・流年が「正財・絶」で、まさに大運が流年を尅する形式でした。(財には”健康”という意味合いもあります。)

そして2012年、「比肩・墓」の流年の終わり間際に”分離・別れ”の象意とともに、この世からあの世へと旅立たれることとなりました。


元横綱大鵬は、不遇の幼少期を過ごし人の痛みを知っていたからか、慈善活動に人一倍、熱心でした。
日本赤十字社に毎年贈ってきた献血運搬車「大鵬号」は09年までに70台に達したそうですグッド(上向き矢印)

”大鵬”とは、中国の伝説上の巨大な鳥ですが、国民に深い記憶を刻み、天へと舞い上がって行きました。 

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posted by 田島明徳 at 18:06| Comment(0) | 四柱推命鑑定例
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