2013年05月12日

「平成の鬼平」中坊公平さん死去

森永ヒ素ミルク中毒事件などで被害者救済に尽力し、住宅金融債権管理機構(後に整理回収機構に統合)の初代社長を務めたほか、裁判員制度実現など司法改革を推進した元日本弁護士連合会会長、中坊公平(なかぼう・こうへい)さんが3日、心不全のため京都市内の病院で死去されました。83歳でした。

中坊さんは、京都市に生まれ、1957年に弁護士登録、84年に大阪弁護士会会長、90年4月から2年間、日弁連会長を務めました。

森永乳業徳島工場製の粉ミルクで55年に西日本の乳幼児約1万3000人がヒ素中毒となった事件で、被害者側弁護団長に就任し、被害救済を求めた裁判で森永の加害責任を認めさせ、73年12月、和解に導きました。

日弁連会長時代には、容疑者段階から弁護人を付ける当番弁護士制度を実現し、また、市民の司法参加も進めました。

96年7月、住宅金融債権管理機構の初代社長に就任。旧住宅金融専門会社の不良債権回収を陣頭指揮しましたが、不適切な債権回収を巡って詐欺容疑で告発(後に起訴猶予)。
東京地検特捜部の事情聴取を受け、2003年10月、弁護士廃業の意向を表明していました。
http://mainichi.jp/select/news/20130506k0000m040032000c.html


中坊さんといえば、1985年、金のペーパー商法で破産した豊田商事の破産管財人に選任され、従業員給与の所得税の返還を実現、被害者への配当を増やすことに尽力され、当時の活動は「プロジェクトX〜挑戦者たち〜・悪から金を取り返せ」としてNHKテレビでも採り上げられましたねわーい(嬉しい顔)

また、会長退任後は、住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理と香川県・豊島(てしま)の産業廃棄物処理に対するボランティア的な活動存在で、クローズアップされました。

豊島の産廃問題では香川県など行政当局に見放された住民に、自ら立ち上がらなければ権力機構は動かないと説き続け、自ら先頭に立ちましたが、「観客民主主義」を批判し、自ら血を流す覚悟を求めた言葉は、説得力に富んでいました。

ドラマ化もされた、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の主人公、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵をになぞらえ“平成の鬼平”とも呼ばれましたが、まさに、「公平」というその名の通り、“弱者のための”公平を追及し続けた人生だったと言っても良いでしょうグッド(上向き矢印)

そんな波乱に満ちた生涯だったわけですが、四柱推命的にはどのような背景があったのかと思い、早速、生年月日を調べてみました。
以下が、その命式です(生時不明)。

s_nakabou_meishiki.png

一つ目の特徴としては、日柱干支が「己卯」でこれは別名“城頭土(じょうとうど)”と呼ばれています。

“城頭土”とは山城を意味し、“山頭火”と似て、運気は非常に強く大きい事を表わしています。四柱が強ければ、スケールの大きな運の展開がある納音です。
五行が悪くなければ、この納音は山の上にそそり立っている城の姿を表すので、器の大きさを表しますグッド(上向き矢印)

また、十二運が「病」となることから、幼少より病弱であったり、早く両親と生死別したりと運の発展が遅れますが、中年以降は良くなります。
実際、ご本人が言われていますが、「生まれつき弱虫で体も弱く目立たない存在だった」とのことです。

職業は束縛されない自由業など合っていますし、学者・技術者・教育者などの方面もよく発達します。

男性は迫力を欠く風貌ですが、内面は進取性を持ち、意外と気性が激しく短気な面が内在しています。また、反面、繊細で神経質な面もあります。

またこの星は、“酒と色情に注意”とも言われています。
実際、1954年24歳にして司法試験に合格、翌年に司法修習生となるも給料はすべて自分の小遣い、父親を騙して無心と、放蕩三昧の日々を送っていたそうですふらふら

さらには、日柱干支に「己卯」が出ている場合、天干星上に「偏官星」が無くても同じ様な働きをすると言われています。
そこから、非常な“正義感”が出てきているのかもしれませんね。
(もちろん、時柱に「官星」が出ている可能性もあります。)


二つ目の特徴としては、月柱・年柱の並びが「食神」・「比肩」となっています。

この天干星の並びは、「比肩」と「食神」が四柱に並んだ命式で、「比肩星」が「食神」を生じる形の命理となっています。

この並びの人は慨して品がよく、中には親分肌の人もあります。
「食神」の特性によって、少し何を考えているのか分かり難い所もありますが、「比肩」が出ていますので、個性の強さと優しさを兼ね備えていて、頼られると嬉しい人です。

基本的には人間的に肩の凝らない人ですが、ちょっと見はツンとしているように見える場合も多く、近寄りがたい人もあります。

月上に「食神」が来ていますので、比較的愛情にも恵まれやすく、人間的にもソフトになります。
また、「食神」が持つ生財の働きによって、一生食べるには困らない命式となりますグッド(上向き矢印)

月上が「比肩」であったり、月上「食神」でも「比肩」が太過すると、子供の頃から家庭的に愛情面の苦労が多くなり、人間的にも頑固で個性が強く、孤独性が出るようになります。

この並びは、成功や幸福を手に入れる過程で、苦労や紆余曲折を経ることが多いので、若い頃は苦労しておいた方が、中年以降に良い運を手に入れることが出来ると言われています。

実際、中坊さんの生家は裕福で、お付きの女中さんがいたそうです。
ちなみに、父親も弁護士をしていて、母親もまた小学校の先生をしていました。

s_nakabou_taiunn.png

上図は、中坊さんの大運表となります。

数え年で19〜27歳が「比肩・帝旺」、28〜36歳が「劫財・衰」となっていた時期は、ちょうど弁護士となったものの放蕩三昧の日々を送っていた頃と一致しているかと思います。

数え年で37〜45歳が「偏印・病」となっていた時期は、40歳で大阪弁護士会副会長になり、1973年からは森永ヒ素ミルク中毒事件被害者弁護団と千日デパート火災テナント弁護団の団長に就任し、被害者の救済などに奔走していた頃でした。

数え年で55〜63歳が「偏官・墓」、数え年で64〜72歳が「正官・絶」となっていた時期には、1985年 豊田商事の破産管財人、 1990年 日本弁護士連合会会長に就任。
1993年 豊島産業廃棄物問題について、地元住民と共に解決への活動を開始。
1996年 住宅金融債権管理機構の社長、1999年には整理回収機構の社長に就任。

数え年で73〜81歳が「偏財・胎」となっていた時期には、2002年 朝日住建の債権回収について詐欺行為があったと刑事告発され、機構社長を辞任。
不適切な債権回収が行われていたことが取り沙汰され、2003年 その責任を取る形で弁護士の登録取消届を提出。

となっています。

そして2013年、大運「正財・養」・流年「偏財・帝旺」の年に、83年の波乱に満ちた生涯を閉じられました。

こうして看て見ますと、基本的に「財星」の年回りは、運気が良いと考えるものですが、中坊さんの場合、強い「比肩星」と尅し合うため、逆に悪化していることが伺えます。


以上、四柱推命的に中坊さんの人生を振り返ってみましたが、まさに、「強きをくじき、弱きを助ける」を実践された方だったと思いますグッド(上向き矢印)

中坊さんの残された数々の功績を賞賛するとともに、ご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

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posted by 田島明徳 at 20:41| Comment(0) | 四柱推命鑑定例
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