2013年09月29日

近所の八寸権現山に行ってきました

8月に現住所に引っ越してきたのですが、近所に地元の人から通称「ごんげんやま」と呼ばれている小高くなって、アカマツ林に覆われた丘のような所があります。

ほとんどが平坦地の伊勢崎市にとって標高94mは立派な山なわけですわーい(嬉しい顔)
周囲は住宅地になっていますが、一年中、緑に覆われポッカリとお椀を逆さにしたようなその姿は遠くからでも結構、目立ちます。

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正式名称は「八寸(はちす)権現山」と言いますが、旧地名が“八寸村”であったからのようです。

また、“権現”は山頂に“熊野権現”が祀られていたことから来ています。
現在は、山頂近くの「蓮(はす)神社」に合祀されています。

この「蓮神社」の主祭神は「豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)」で、現在の“豊城町(とよしろちょう)”という地名の元となっています。
(読みがちょっと違いますが・・・)

興味深いことに、実はこの「八寸権現山」は古墳であったと言うことですexclamation

この山は元々、赤城山の“流れ山”ですが、流れ山とは、大規模な火山泥流の堆積地に見られる火山麓の小丘のことで、赤城山の一部がここまで流れて、丘を作りました。

流れ山には石器時代に人類の活動の跡があり、古墳時代の人は知らずに流れ山を利用して石棺竪穴埋葬の前方後円墳を築造したようです。

古墳の築造は6世紀頃で、相沢忠洋氏により丘陵部の崖面から約4万年前の石器が発見され、“権現山石器文化”と名付けられた文化地層が確認されたとのことです。

この「八寸権現山」の丘陵の北側から東側にかけても4基の円墳があり、横穴式石室や「く」の字型石室が見つかり、壁面も朱色に塗彩していたとのこと。
壁画があれば高松塚古墳(奈良県明日香村)のように全国区の話題になったかも知れませんねあせあせ(飛び散る汗)

また、昭和初期には権現山周辺には105基を数える古墳があったとのことで、重要文化財の正装女子像や、男子人物像等の形象埴輪が出土したそうです。

ということは、この辺一帯は6世紀頃にはかなり栄えた場所であったということが言えそうです。
実は、うちのアパートの地所も元は古墳だったそうですわーい(嬉しい顔)


山への入口はいくつもあり、近所の人の散歩道の入口、赤い鳥居をくぐる入口、神社の参道の石段の入口、車も通れる広い入口、ざっと数えただけでも8ヶ所はあります。

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現在は、伊勢崎市により「はちす権現山公園」として整備されていて、山の中の遊歩道に自然の雰囲気がそのまま残されています。

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道の線形も自然の地形の曲線やアップダウンがそのままで、路面にはコンクリートやレンガ等も敷設されていないので柔らかい土の感触を楽しみながら歩くことができます。

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広大な権現山中腹を削って建てられているのは「蓮神社」。
「崇神天皇(すじんてんのう)」の皇子である「豊城入彦命」を奉り、鎌倉時代の元亨元年(1321年)に建てられた由緒ある古社なのです

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権現山古墳の頂上部へ到着。 海抜91mの標識もあります。
頂上部には「八寸権現山の宝塔」なる古びた大石塔が安置されています。

この宝塔の高さは222cm。 赤城山から流れ下る粕川流域に多く分布する赤城塔と呼ばれる形式の石塔で、14世紀の南北朝時代に造立された古い石塔です。

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やはり、日本各地のマツは、松枯れ病が悩みの種です。
この日も、山の西側から南側にかけての斜面を覆うアカマツ林の中に、枯れて赤茶色に変色したマツが数本ありました。

ただ、この権現山のマツはオーナー制度があるのか、随分、防除等保護されている印象です。

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頂上には野鳥観察小屋もあります。
多くの野鳥が生息していると言うことなので、それだけ、自然が保護されていると言うことでしょう。

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ちょうどお彼岸で、曼珠沙華の花が盛りでしたが、桜の木も結構あるので、桜の季節にはまた訪れて、写真をブログにもアップしたいなと考えています。

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結構、自然が残っていて空気も良い場所なので、今後ともウォーキング等で利用させてもらいたいなと思いました。
もちろん、参拝も忘れずにわーい(嬉しい顔)

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posted by 田島明徳 at 23:10| Comment(0) | 日記
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