2012年10月06日

キンモクセイが香り始めました

ここ群馬県南部地方も、ようやく猛暑も収まり、日中散歩をしても気持ちいいような天候になってきましたるんるん

それに伴い毎年、秋の季節の到来を告げるような”キンモクセイの香り”がし始めて来たようなので、近所の公園に見に行ってみました。

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道すがら、もうじき稲刈り前の田んぼで、コンバインが入りやすいように畦の草刈作業をしている光景を見ました。
”実りの秋”の到来ですね。

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公園に到着すると、花壇に色とりどりの花が咲いていました。

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さて、お目当てのキンモクセイを探して見てみると、花はまだほとんど咲いていませんでした。

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まだ一分咲きとも、言えない位です。
それでも、匂いを感知できた自分の嗅覚はかなり優秀だなと、我ながら感心しましたわーい(嬉しい顔)

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歩道沿いには、白色の八重のムクゲの花がちょうど咲き誇っていて綺麗でした。


そういえば先日、季節の移り変わりに関して、ちょっと驚きのニュースを発見しましたexclamation

「猛暑から厳冬へ」
http://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message99.htm

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この夏アメリカは3000ヶ所以上で史上最高気温を記録、25州で8000万人の人々が連日40度を超す信じ難い暑さに見舞われました。

中でも、コロラド州の東に位置する中西部のビルシティでは7月28日になんと46度という、信じ難い異常高温を記録するところとなりました。

米国各地で発生した異常事態。
あまりの暑さに道路がめくれ上がって走行して来た車が空中高く飛び上がり、鉄道の線路はくねくね曲がって列車が脱線、空港では旅客機のタイヤが滑走路の中に食い込みました。

さらには、畜牛約4000頭が死亡、魚の大量死、旱魃でトウモロコシ・大豆が壊滅的な打撃を受けるなどの甚大な被害がありました。

しかし、ここに来て様相は一変、北から寒気団が南下して一気に気温が低下、例年にない早い冬が訪れようとしているようです。

中でも大統領選挙のテレビ討論会が行われいるデンパーでは、今週のはじめまでは30度近い夏日が続いていましたが、昨日辺りから一気に気温が下がり、 週末には最高気温7度、最低気温は氷点下となり、降雪までが予想されているそうです。

この調子では、米国北部一帯は猛暑の夏から秋を素通りして、一気に厳冬になりそうとのこと・・・。


今後、世界の気象は”春と秋”が無くなったような、非常に極端なものに変わって行くのかもしれませんたらーっ(汗)

これは取りも直さず、この地球上の生存にとって快適な領域がどんどん損なわれつつあることを意味しています。

残念ながらそれだけ、現代人の”徳”が減少して来ているということかも知れませんね。

一日一回「ポチッとな」
posted by 田島明徳 at 23:03| Comment(2) | 日記

2012年08月15日

本日は67回目の終戦記念日

本日8月15日は、67回目の終戦記念日でした。
ラジオを聴いていたところ、伊勢崎市文化会館で「戦争と平和展−67年前の伊勢崎市・佐波−」と題する展示会をやっているとのこと。

こういう機会に67年前に実際にあったことを少しでも肌で感じてみることはいいことだろうと思い、さっそく出掛けてきました。
実は、うちの母親から命からがら焼夷弾から逃げた体験談を聞いていたこともありました。人が燃えているのも、見たそうです。


伊勢崎空襲(いせさきくうしゅう)とは、1945年(昭和20年)8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けた米軍による空襲のことです。

84機の米空軍B24爆撃機・戦闘機が伊勢崎市と周辺の佐波郡3村に飛来し614.1tの焼夷弾、27発の爆弾を投下しました。

空襲は終戦日となる8月15日未明まで続き、この空襲で罹災者8,511人(人口罹災率21.3)、死者29人、重軽傷者150余人、1943戸の家屋が焼失(共に伊勢崎市の被害のみ)しました。

市街地の約40%が焼失しましたが、空襲当日が無風状態だったことや広大な防空空き地を設置していたために類焼が食い止められ、人的被害は最小限に抑えられたとのこと。

しかし、その約9時間後にラジオから流れた「玉音放送」が敗戦を告げたことは、なんともやりきれない思いだったことでしょう。

会場入り口
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こじんまりした展示会場
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燃える伊勢崎女学校
県立伊勢崎女学校美術教師 松本喜代次画
火の勢いがすごく、消し止めるどころの騒ぎではなかったとのこと。
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校内に防空壕を掘る伊勢崎女学校生徒
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M69集束焼夷弾分解図
ほぼ実物大の焼夷弾分解図です。実物は全長2m位あったようです。
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軍事教練でしょうか?竹槍を持ってます。
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火の雨となって降りそそぐ焼夷弾(左)と焼け跡に残った市役所屋上から見た市街地(右)
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集められた焼夷弾のパーツと模型
手前にある円形の鉄の塊は弾頭のウエイトで、重さ25Kgもあります。
こんなのが雨あられと降って来たら、たまりませんねふらふら
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学徒動員された方の体験談のDVDも観られます。
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最後にパンフレットに書かれていることから引用です。
「<歴史に学び改めて考える>戦争の犠牲となるのは、つねに普通の国民=庶民です。国民を戦争にあおりたてた政府・マスコミ、それにあおられ社会風潮に流されてゆく国民。大人も子どもも戦争へと進んでいきました。そして悲惨な結果を見出すこととなりました。歴史に学ぶことの大切さを少しだけ紐解いてみます。」

明日(16日)も午前9時半〜午後6時までやってるそうです。
入場無料ですので、お近くの方は是非、ご覧になってはいかがでしょうか?


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タグ:日記 戦争
posted by 田島明徳 at 20:05| Comment(0) | 日記

2012年08月14日

前橋市にある産泰神社に行って来ました

以前、赤城神社に参拝しに行った記事を書きましたが、その時、赤城神社に関して調べていたところ、たまたま「産泰(さんたい)神社」という神社が、大室公園からそう離れていないところにあることを知りましたグッド(上向き矢印)

「産泰神社」は、前橋市下大屋町というところにあり、特に”安産・子育て”にご利益があるとのこと。(Webサイトもあります

それは、この神社が木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤビメノミコト)を御祭神としているからで、以下のようなエピソードに拠ります。


「天孫降臨を果たした邇邇芸命(ににぎのみこと)は、笠沙(カササ)の岬で大変美しい女神に会われ名を尋ねると、大山祇命(オオヤマツミノミコト)の娘で木花佐久夜毘売であると名乗りました。

邇邇芸命に求婚され一夜の契りを結び御懐妊しましたが、邇邇芸命に国津神(クニツカミ)との不貞を疑われます。
佐久夜毘売は「もしこの子が国津神の子なら、無事に産むことは出来ないでしょう。反対に邇邇芸命の御子ならば安産に違いありません。」と、出入り口の無い産屋を造り中に籠られました。
やがて出産の時が来ると、内側から火を放ち燃え盛る炎の中で、三神を無事お生みになられ、ご自身も無事であったといいます。」

以来、安産子育ての神として、又美しい御姿から女性の守護神として多くの崇敬を集めているとのことです。

また、木花佐久夜毘売命は、この火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父の大山祇命から、火山である日本一の秀峰「富士山」を譲られました。
そして、祀られるようになり富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになったそうです。


最近わたしは、”木花佐久夜毘売”というお名前をいろいろなところで、目にしたり耳にしたりすることが多く、一種の”セレンディピティ”的なものを感じていましたグッド(上向き矢印)

例えば、このブログも参加しているブログランキングで、下記のブログも偶然見つけました。
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示」
語りが文語調なので、ちょっと読みづらいですが、なかなか示唆に富んでいますのでご一読をお勧めします。

そんなこんなで、一度参拝しなければと思ったので暑い中出掛けて来ましたあせあせ(飛び散る汗)

鳥居と神門
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拝殿
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安産抜けびしゃく
底のないひしゃくで水を汲みます。
抜けるように、楽なお産ができるようにという意味合いです。
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安産子育て戌
戌はお産が軽く、一度にたくさんの子どもを産むことから「安産の守り神」として親しまれ、それにあやかったものだそうです。
なんだか、今風で可愛らしいですねわーい(嬉しい顔)
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御本殿
繊細な彫刻が美しいです。
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境内左奥の琴平神社と巨石群
巨石群は赤城山が噴火した際の火砕流岩とのこと。
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巨石には上と下二か所に「胎内くぐり」という穴があり、妊婦がくぐれば安産になると言われていますが、危険な場所であるため現在は立入禁止となっていますexclamation
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産泰神社付近から見た赤城山
結構な距離がありますが、この辺りまで火砕流がやって来たんですねたらーっ(汗)
小高くなっているので、侵食されずに残ったのでしょうか?
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「産泰神社」は境内全体がきれいに整備され、厳かな雰囲気の漂う空間でした。
何だかパワーアップした気がしたので、暑い中参拝した甲斐がありましたわーい(嬉しい顔)


与えよ、さらば与えられん
posted by 田島明徳 at 20:15| Comment(0) | 日記

2012年08月12日

庭に開いた多数の謎の穴!?

近頃、庭に直径が1.5cm位の穴がポッカリと開いているのを良く見かけますあせあせ(飛び散る汗)

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「何の穴かなぁ、アリの巣の穴としては大きいし・・・」などと不思議に思っていたのですが、その理由が分かりましたexclamation

これです。
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全部で、3体発見しました。
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蝉(せみ)の幼虫が出てきた穴でしたわーい(嬉しい顔)
多分、ミンミンゼミかアブラゼミの幼虫であると思われます。

よく蝉は「7年間地中で暮らし、地上に出てきて羽化すると9日間で死んでしまう」というように聞かされてきました。

しかし、実際のところ地中での生活期間は栄養状態にも拠るようですが、3〜17年(アブラゼミは6年)だそうです。

また、羽化した後の地上での活動期間に関しては、成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、実際には野外ならば1か月程、生きられるようです。


蝉といえば日本では、種毎に独特の鳴き声を発し、地上に出ると短期間で死んでしまうことから、無常観を呼び起こさせ「もののあはれ」の代表でした。

文学の世界でも、蝉の抜け殻を”空蝉(うつせみ)”と呼んで、”現身(うつしみ)”の無常性と連想されたりして来ました。

しかし実際のところは、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さを持つというのが真実のようですたらーっ(汗)


それにしても、羽化した後のたっぷりとした日差しの中での活動期間に比べ、真っ暗な地中での生活期間の方が、圧倒的に長いのは事実です。

そう考えると、蝉は”晩年運”の持ち主と言えるでしょうわーい(嬉しい顔)


人の運勢の傾向は大雑把に分けて、三種類に分けられますが、それが「初年運」「中年運」「晩年運」です。

「初年運」の人は、三十歳代に盛運に達し、四十歳代で運気がなくなってきます。
晩年の運勢が悲運であるため、子供運が悪い傾向にあり、衰退に向かい、土地を手放してしまう可能性もあります。また、後継ぎがない場合もあります。

「中年運」の人は、四十歳代から、五十歳代までの間に運気を発動させることができます。
善い事をなし、努力を続けるものは、晩年も運気を発動させることができますが、その多くは中年運で終わります。

「晩年運」の人は、四十歳代の後半から運勢が上昇しはじめ、しだいに運勢が増大し、晩年になるほど強まっていく傾向にあります。
とくに五十歳代から運気が強大になり、子孫にも良い影響を与えるほどの運勢になります。そのかわりに、若年中は苦労が多く、逆境の連続です。
才能のある人ほど挫折と失敗を繰り返し、それが晩年になるまで不運が続くため、自信を喪失し、やる気を無くしてしまうこともあります。
しかし、逆境を乗り越えることにより、それが晩年の大成功の原動力になってきます。


確かに、「初年運」「中年運」「晩年運」という分類はあまりにも大雑把ではありますが、自分自身の運勢の傾向を知っておくことは、人生を生きていく上で大きな利益があると言えるのではないでしょうか?

さて蝉の話に戻りますが、天敵に襲われる等の数々の困難を克服し、無事成虫になれた蝉たちには、短い夏を十二分に謳歌してもらいたいものだと思いました晴れ


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タグ:日記 昆虫
posted by 田島明徳 at 18:11| Comment(2) | 日記

2012年07月24日

気晴らしに赤城山南面にドライブに行ってきました

先日、気晴らしに赤城山南面にドライブに行ってきました車(RV)
それは、7月に入ってから猛暑日が続いていましたが、ここのところ曇りがちの天気となり涼しかったからです。

まずは、よく通りすがりに見かけた、風情があるお寺に寄って見ました。

それは、前橋市苗ヶ島町(旧勢多郡宮城村)にあり「霊松山 歓喜院 金剛寺」という名のお寺でした。

紫陽花の参道
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門構えと本殿
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立派な鐘楼
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なんとホームページがありました。
興味のある方は、参照して下さい。


次に赤城神社に行って見ました。

赤城神社は、群馬県の赤城山の神を祀る神社で、その本源は、赤城山を神体とする、山岳信仰に端を発するそうです。

赤城南麓を流れる粕川の水源としての信仰(水源地・小沼への信仰)と、最高峰の黒檜山などへの雷神信仰、および赤城山そのものへの山岳信仰が集まって成立したとみられるとのこと。

延喜式神名帳に名神大社「勢多郡 赤城神社」として記載され、上野国二宮ともなっています。
現在、以下の3社がその論社となっているそうです。

・赤城神社(前橋市三夜沢町、旧県社)
・赤城神社(前橋市富士見町赤城山、旧郷社)
・二宮赤城神社(前橋市二之宮町、旧郷社)

今回、参拝したのは”三夜沢町”の赤城神社です。

鳥居
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拝殿
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たわら杉
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■案内板の内容から
赤城神社の境内には杉の大木が多数あり、ヒノキやアスナロなども見られます。中でも目を引くのが中門南側とその西隣にある三本の杉の大木「たわら杉」です。東側のものから、目通り周5.1m、6.1m、4.7m、根元周6.0m、9.6m、5.6mとなっており、樹高は各々約60mです。これら三本の杉は群馬県内でも最大級のものと言えるでしょう。
たわら杉には、「藤原秀郷(俵藤太)が平将門について上野国府(元総社)に来る途中、赤城神社の前を通りかかった際に献木したものである」という伝説が伝えられています。藤原秀郷は藤原鎌足八代の後裔と伝えられ、平将門の乱を平定し、武蔵守、下野守、鎮守府将軍をつとめたとされる平安時代の武将ですが、その実像はあまりわかっていません。

やはり、樹齢千年以上の杉の木は迫力・神々しさがありますねあせあせ(飛び散る汗)

本殿
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帰りがけに前橋市粕川町の「室沢棚田の里」周辺を見てみました。

この「室沢棚田の里」は、「にほんの里100選 」に選ばれているそうです。

■「室沢棚田の里」案内看板から
室沢棚田の里へようこそ
ここ室沢地区では遊休地を解消し、棚田を保全する活動を始めました。
母なる山、赤城山麓より流れ出る「しらに清流」が、お米をおいしく育ててくれます。
きれいな小川に蛍が飛びかい、野山にはたくさんの生き物が住む、棚田の風景を楽しんでください。

棚田
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写真には写っていませんが、休耕田なのか、耕作者がいないのか、荒れた田んぼも目に付きました。
農家の高齢化・後継者不足、グローバル経済などの影響があるのでしょう。

世界的に異常気象が頻発している昨今、日本の食糧自給率を鑑みると、先々不安なものを感じざるを得ませんバッド(下向き矢印)

室沢棚田ビオトープ看板
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昔ながらの自然を取り戻すことを目的に作られたビオトープ
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やはり、自然の多いところに行くのは、リフレッシュされていいですねわーい(嬉しい顔)
あなたも、たまにはリフレッシュして下さいねexclamation


与えよ、さらば与えられん
タグ:日記
posted by 田島明徳 at 22:33| Comment(0) | 日記