2013年07月14日

「朝三暮四」

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宋(そう)の国の狙公(そこう)は、たくさんの猿を飼っていました。
狙公と猿はお互いのことをよく分かって信頼していましたグッド(上向き矢印)

狙公は、家族を追い出してまで猿を可愛がり、欲しがるものは何でも与えていましたが、可愛がり過ぎるあまりに財産が無くなって、とうとう貧乏になってしまいましたバッド(下向き矢印)

どうしようも無くなったので、仕方なく猿の食事量を減らすことにしました。
ただ、猿たちに嫌われたくないので猿たちをちょっとだますことにしました。

ある朝、お腹がすいている猿の前で、狙公が「おまえたちの食事のことだが、今から食べる朝食はドングリを3つに減らそうと思う。そして、夜は4つにしよう。」と言いました。

それを聞いた猿たちは、「なぜこんなにお腹が減っているのに3つなんだ!」と、立ち上がって怒り出しましたどんっ(衝撃)

それを見た狙公は、「わかった、わかった!私が悪かった。じゃあ、お腹がすいている君たちのために、やっぱり4つに増やすことにするよ。そのかわり、夜は3つになってしまうが、それでいいかな?」と言いました。

今のことしか考えられない猿たちは、自分たちの気持ちを理解して朝食を増やしてくれた狙公にひれ伏して感謝した、とのことですたらーっ(汗)


この『朝三暮四(ちょうさんぼし)』という故事成語は、猿たちが、朝三暮四も朝四暮三も実質は同じであることに気付かず、朝三には怒り、朝四には喜んだということから、「目先の違いにとらわれて、全体のことに気づかないこと」や、「知恵のある人が、知恵のない人を丸め込むこと」を意味しています。


それに関連してということではないのですが、現在、第23回参議院議員選挙の真っ最中です(7月21日投票)。

向こう3年間は、通常の国政選挙は行われない可能性が高いので、まさに今回の参院選挙が日本の未来を決定する「分水嶺」と言っても、過言ではないでしょうexclamation

マスコミ報道では、今回の選挙の争点は「景気」と「ねじれ」であると盛んに吹聴していますが、実際には、「原発」「憲法」「TPP」「消費税」「沖縄」など、より重要な争点は多数存在しています。

また、「アベノミクス」とやらの造語で盛んに現政権の経済的成果を強調していますが、その後の、「消費税増税」「インフレ懸念」「格差拡大」などには一切触れられていません。


以上のような事柄を、総合的・長期的な視点で判断しないと、この故事成語の由来となった猿たちと同様なことになってしまいかねませんバッド(下向き矢印)

私たちは、“猿”よりも智恵のある“人間”ですから、是非とも賢明な選択をしたいものですグッド(上向き矢印)
日本の未来の世代のためにも・・・。

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posted by 田島明徳 at 20:38| Comment(2) | 故事成語

2012年11月24日

「画竜点睛」

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梁(りょう)の国の武帝(ぶてい)は、仏教を厚く信仰していました。
それで、たくさんの寺を建て、寺の装飾画の多くは張僧縣(ちょうそうよう)という画家に描かせていました。

張は、都の安楽寺で4匹の白い竜を描きましたが、どの竜にも、睛(ひとみ=瞳のこと)を描き入れませんでした。

そこで人々は、「なぜ、瞳を描かないのか?」と聞くと、張は「この竜に瞳を書き入れたら、飛んでいってしまうんだよ」と言っていました。
人々は本気にしなかったので、「試しに瞳を書き入れてみてくれ」と、張にお願いしました。

願いを受けて張は、2匹だけ絵の竜の瞳を書き入れました。
するとどうでしょう、しばらくすると雷が鳴り、稲妻で壁が壊されて、瞳を書き入れた2匹の竜は、雲に乗って天に飛び去って行ってしまいましたexclamation

それを見た人々は腰を抜かし、張の画力に感服したということですあせあせ(飛び散る汗)
瞳を書き入れなかった2匹の絵だけが、今も安楽寺の壁に残っています。


この「画竜点睛(がりょうてんせい)」という故事成語は、文章や絵画で最も重要な箇所に手を加えて効果をあげたり、物事を完成させることを意味しています。
あるいは、「画竜点睛を欠く」と打消表現にして、最後の肝心なところを仕上げずに不完全な状態である、という意味でも使われています。

このエピソードから当時、張ほどの腕をもってない画家でも竜を描くときは瞳を入れないことがはやったりしたそうですわーい(嬉しい顔)


ですので、「画竜点睛」という故事成語は、ほんのわずかなことでも物事全体を生かしもするし、殺しもするということを言っているんだと私は思います。

似たような意味の言葉に、「神は細部に宿る(God is in the details.)」というのもありますね。
これは、モダニズム建築の超高層ビルとして名高いシーグラムビルなどを設計したドイツの建築家ミース・ファンデル・ローエが好んで使っていた言葉ですが、誰が最初に言ったのかは諸説あって良く分かっていないそうです。


話は替わりますが、四柱推命鑑定においても似たようなことがあります。
実は、私が今まで鑑定依頼を受けた方のうち、約半数位がご自身の出生時刻を知らない方だったのです。

年柱・月柱・日柱がしっかりしている場合には、時柱が変わっても、バリエーション程度の差となることもありますが、逆に、年月日の三柱が不安定で、偏りがある場合、時柱の喜忌如何によって、天地の差が生まれてくる場合もあるのです。

つまり、時柱の干支を以って「画竜点睛」となるということですグッド(上向き矢印)
実は、私もそのタイプでしたたらーっ(汗)

ですので、是非あなたもご自身の出生時刻を調べてみて下さい。
出生時刻の調べ方に関してはこちらへ。)
きっと、あなたにとって貴重な財産となることは間違いないでしょうわーい(嬉しい顔)

与えよ、さらば与えられん
posted by 田島明徳 at 21:34| Comment(0) | 故事成語

2012年10月21日

「杞憂」

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周の時代、現在の河南省杞県に杞(き)という国がありました。

杞は小国ではありましたが、古い家系の格式ある国でした。
というのも、周の武王が殷(いん)を滅ぼしたときに、かつての夏(か)王朝の聖王・禹(う)の子孫である東楼公(とうろうこう)を君主として封(ほう)じ、禹の祭事を継承させたという来歴を持っていたのです。

その「杞」の国に妙に心配性の人間がいました。

その男は、もし天が落ち、地が崩れたら身の置き所がなくなるだろうと心配して、夜も眠れず食べ物ものどに通らないという有様でしたふらふら

そんな男を見かねた友人が、その男に諭して言い聞かせるに、
「いいかい、天というものは気の積みかさなったものであるに過ぎない。気はどこにでもあるものだ。体を曲げたり伸ばしたり、呼吸したりを一日中この気の積み重なった天の中でやっているではないか。どうしてその天が落ちてくるなどと心配するんだ?」

すると心配性の男は、
「天が本当に気の積み重なったものなら、太陽や月や星も当然落ちてきたりするだろう?」

友人は男にまた諭して曰く、
「太陽や月や星も同様に気が積み重なったもので、その中の輝きをもったものに過ぎないのだ。だからもし落ちてきたとしても、あたって人に怪我をさせるというようなことはできないのだ。」

男はさらに言います。
「じゃあ、地が崩れるのはどうしようか?」

友人はまた答えます。
「地というものはな、土の積み重なったものに過ぎなくて、しかも四方にみっちりとふさがっていて、どこにでもあるものだ。歩いたり踏みつけたり、一日中その地の上で行っているではないか。どうしてその地が崩れたりするなどと心配するんだ?」

それを聞いた心配性の男は、納得して大いに喜びました。
友人もそれを見て大いに喜んだそうでするんるん


この故事成語の「杞憂(きゆう)」とは、「無用の心配をすること・取り越し苦労をすること」を意味し、「杞人の憂い」とか「杞人天を憂う」などとも言います。

当時、周の武王はこの「杞」の国のほかにも、同様に微子(びし)という人物を「宋」の国に封じて先祖の祭祀を継がせていました。

つまり、周王朝の人々から見れば「杞」も「宋」も敗戦者の国・遺民の国として侮蔑的に考えられていて、その国人を愚人扱いした話が多く、この「杞憂」の話もそのうちの一つのようですふらふら

「天地が崩れるだの崩れないだの心配するのは余りにも先の心配をし過ぎると言わねばならないが、同時に崩れないと断言することも正しいことではない。
天地が崩れようと、何しようとそんなことに心を乱されない無心の境地が大切なのだ」
というのが、このお話に対する列子(老子の後継者)の言葉となっています。


この話を聞いて思い出したのが、2009年の末に公開されたハリウッド映画の「2012」です。

この映画では、太陽ニュートリノが変異し、地球のコアを過熱晴れ
やがてその熱で緩んだ地殻が一気に崩壊をはじめ、わずか3日で地表のすべてが海中に没するという設定で、地震・地割れ・噴火・津波・洪水などの天変地異が荒れ狂う様子が描かれました。

このイメージの元になったのは2012年12月21日をもって終焉している「マヤ暦」です(ちょうどあと2ヶ月ですね)たらーっ(汗)
これがあたかも「人類最期の日・人類の滅亡の日」と関連付けられた訳です。

古代マヤ文明は、非常に高度な天体観測技術を持っており、また現代のものとほとんど遜色ない精密な暦を使用していたことでも知られています。
そのマヤ暦のひとつの枠組みが長期暦で、「マヤの大周期」あるいは「13バクトゥン」と呼ばれる約5125年間の時間の枠組みがあります。

これが、紀元前3114年8月13日にはじまり、2012年12月21日で終わっているということになります。

ですので、古代マヤ人が使っていた長期暦の区切りがちょうど2012年であったということが言えるようです。
つまり見方を変えれば、次の新しい長期暦が始まるということが答えのようです。


マヤの長老、カオロス・バリオス氏は映画公開当時、インタビューを通じて次のようなメッセージを発信し、自重を促されています。

『近頃公開された「2012」の映画からマヤ暦とマヤ文明を誤解される事を大変憂いている。このように人々に恐怖と心配の種をまいたことは残念である。「第一に、マヤ暦の終わりが世界の終わりではない」ことを強調したい。2012年12月21日という特定の日に何かが起こるというわけではまったくない。12月21日は19日や22日となんら変わらない普通の日として過ぎるであろう。マヤ暦が終了しても、世界はそのまま続いて行くしわれわれの生活も続いて行く。

しかしながら、これまでとは少し違った基盤になるという事です。

マヤ暦の終了日が表しているのは、変化が集中して起きる特定の日ではなく、変化が現れる全体の期間を指し示しているに過ぎない。この変化の期間は、人類が調和を失ったとして創造主からの懲罰を受けるということでもない。人間が精神的な成熟過程に入るために、これまでの生き方の方向を転換することが迫られるだけである。

人間には運命を自ら変える力が備わっている。未来の選択はわれわれ自身の手にゆだねられている。』


2012年12月21日はちょうど”冬至”にあたります。
四柱推命的には冬至の頃から徐々に、明年の運気に移行して行くと見ることができますし、流派によっては、冬至を年の区切りにしているところもあります。
ですので、マヤ暦が次に暦に切り替わるというのも、タイミング的には合っているような気がします。

確かに近年、黒点発生周期に異常が見られたり、巨大フレアの発生等、太陽活動に異変が生じていますし、地震や火山噴火・異常気象などの災害リスクが高まってきているのも事実です。

しかし、2012年12月21日が「人類の滅亡の日」というのは将に”杞憂”に終わって欲しいものだと思います。

与えよ、さらば与えられん
posted by 田島明徳 at 19:21| Comment(0) | 故事成語

2012年09月02日

「嗟来の食」

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春秋の頃、斉の国は大飢饉にみまわれ、食糧が不足したため、多くの民がやせ衰え死を待つばかりになってしまっていました。

その様子を見た黔敖(けんごう)というお金持ちは、道の傍らで料理をし、食べ物を並べ、通りがかりの餓えた人々に施しを始めましたグッド(上向き矢印)

ある時、ぼろぼろの衣服の袖で顔を覆い、破れた靴を履き、よろよろと今にも倒れて死にそうな様子の者がやって来ました。ひどく餓えているのは一目瞭然です。

そこで黔敖は左手に食べ物をもち、右手に飲み物を持ってその男に尊大な態度で話しかけました。
「おい、そこの! こっちにきて喰らえ。」

しかしその男は、いまにも倒れんばかりの様子だったのがウソであるかのように、キッと顔を上げ、黔敖を見据えてきっぱりと言い放ちました。

「私はそのような無礼な『嗟来の食(さらいのし)』はいっさいお断りをし、食わずに来ました。それゆえに、このように餓えてふらふらになったのです。」
男は、黔敖たち“施す側”の偽善を指摘したのですexclamation

黔敖はかなりのショックを受け立ち尽くし、また自分の無礼さに恥じ入りました。
その男の後を慌てて追いかけて、自分がしたことを詫びました。

しかし、その男は黔敖の差し出す食べ物についに手を出す事無く立ち去り、しばらく行ったところで倒れて餓死してしまいました。



「嗟来の食」とは、「嗟、来たりて食せ。」を略したものですが、『嗟』とは無礼な態度で発する呼び声で日本語では、『おいこら』みたいなものですふらふら

よって、この故事成語には「無礼な態度で与える食べ物」「人を見下げた振る舞い」という意味があります。


例えば、現代におけるホームレス支援や災害ボランティア等にしても、そもそもは『お互い様』の精神、あるいは『惻隠(そくいん)の情』から行われるものだと思います。

「惻」は、同情し心を痛める意で、「隠」も、深く心を痛める意です。
したがって、人が困っているのを見て、自分のことのように心を痛めるような、自他一如(いちにょ)の心を『惻隠の情』と言います。

よって本来、する側・受ける側になんらの優劣もつきようがないもののはずです。

ところが、人は時として勘違いをしてしまいます。
『施し』とか『〜してあげる』といった言葉で自分が“持てる側”であることの優位を確認し気持ち良くなったり、『どうだ私は偉いだろう』などという気分になってしまいがちです。

これでは、徳行を積むどころか、悪行を積んでしまうことにもなりかねませんバッド(下向き矢印)
仏教にも、「心行が最も重い」という教えがあります。

この故事成語は「弱肉強食」化が進む現代社会に対する、戒めであるかもしれませんねグッド(上向き矢印)


与えよ、さらば与えられん
タグ:故事成語
posted by 田島明徳 at 21:48| 故事成語

2012年08月21日

「旱魃」

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最近、アメリカ・アルゼンチン・ブラジル等において旱魃(かんばつ)が起き、トウモロコシ・大豆の生産が壊滅的打撃を受けているようです。

これによる供給不足で、トウモロコシと大豆のシカゴ先物価格が急騰している現状です。

これは、世界の人口増加・異常気象の影響と相まって、世界的食糧難の時代が現実味を帯びてきたと言えそうです。
特に、食糧自給率が40%を切っている日本にとっては重大な問題となることは必至です。

早急に食糧自給率を上昇させるための施策を執らなければならないと思うのですが、あなたはどう思われますか?


さて話は変わり、この「旱魃」とは”ひでり”のことですが、これも実は故事成語であるとのこと。それは、以下のエピソードによります。

『古代五帝の黄帝(こうてい)は”たく鹿(たくろく)の戦い”の時、敵の出した濃霧に苦しめられました霧

大雨を降らせて対抗しましたが、敵の暴風雨に敗れてしまいました台風

そこで黄帝は娘の魃(ばつ)を呼びました。

その体内には猛烈な情熱が蓄えられていて、暴風雨は跡形も無く消え、空には烈日が照るようになりました晴れ

魃が雨を止めることで無事勝利を掴んだ黄帝でしたが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなり、地上を転々とすることとなりました。

彼女の居る所はひでり(旱)が続き晴れ、やがて”旱魃”と呼ばれ憎まれるようになったとのこと。』


この話の中に出てくる”魃(ばつ)”さんはもしかしたら「丙午年生まれ」だったのでしょうか?
もしかしたら、このブログをご覧になっているあなたも「丙午年生まれ」かも知れませんねふらふら

しかし、ご安心下さい。
四柱推命で注意を要するのは「丙午年生まれ」ではなく「丙午日生まれ」であるからですグッド(上向き矢印)

今日でも迷信として「丙午年生まれの女は男を食い殺す」などと言って、毎年丙午の年は出生率が下がると言われていますバッド(下向き矢印)

戦後になっても「丙午」の迷信は尾を引き、1966年(昭和41年)の丙午では、子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が地方や農村部を中心に多く、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なくなったそうです。

その「丙午迷信」の由来が、歌舞伎や浄瑠璃で有名な「八百屋お七」です。
八百屋お七は寛文6年(1666年)の生まれですが、この年がまさに「丙午」の年であったのです。

お七は天和2年(1682年/壬戌年)12月の大火で正仙院(一説に円乗寺)に避難したときに、寺の小姓と恋仲となり、翌年天和3年(1683年/癸亥年)3月にその小姓と再会したい一心で放火、捕らえられて引き回しのうえ、3月29日(西暦:1683年4月25日/癸亥年丙辰月辛未日)に火刑となったものです。

お七の四柱八字は判りませんが、火が太過するか炎上格となり、水尅火となっていたのでしょう。


四柱推命学では年の干支よりも、日干支を重要視しますから、「丙午年生まれ」の女性が偏見にあうことは、悲しむべきことです。
しかし、「丙午日生まれ」となるとちょっと話が変わってきます。

「丙午日生まれ」は「戊午日生まれ」や「壬子日生まれ」と共に、十二運が最強の”帝旺”、宿命星・日刃がつき、男女とも非常に強い性格となり結婚相手との間に支障をきたしやすいとされるからです。

男性はワンマンな亭主関白、女性もカカア天下で、家長になるべき夫の面目まるつぶれになることから「夫を食い殺す」などの迷信が生まれたのかも知れません。

ですから「丙午日生まれ」の女性はその点をよく理解し、夫に食ってかかるような事はせず努めておしとやかにするよう心掛けないと、結局は自分が辛い思いをする事になりかねません。

どうぞ、ご注意下さいわーい(嬉しい顔)



与えよ、さらば与えられん
posted by 田島明徳 at 18:43| Comment(0) | 故事成語