2013年02月09日

「アランブラ宮殿の思い出」

私は、ほとんどテレビは見ないので、ラジオを聴いていることが多いのですが、このところ良く耳にするクラシックの曲があり、その哀愁の漂う曲調がとても好きになりましたるんるん

曲名はいつも聞き逃してしまっていたのですが、ネットで調べたところやっと分かりましたふらふら

その曲とは「アランブラ宮殿の思い出」でしたグッド(上向き矢印)

この曲は、スペインの作曲家・ギタリストのフランシスコ・タレガによる性格的小品です。

高度な演奏テクニックである”トレモロ奏法”を活用した曲としても名高く、右手の薬指・中指・人差し指で一つの弦を繰り返しすばやく弾くことによりメロディを奏でます。
また、親指はバス声部と伴奏の分散和音を担当します。


私は最初、マンドリンによる演奏なのかと思っていたのですが、ギターによるものでした。
同じ、トレモロ奏法ですが・・・たらーっ(汗)

この”アランブラ宮殿”ですが、日本では専ら”アルハンブラ宮殿”と呼ばれていますね。
(スペイン語でHは発音しないため、こちらの方が原語の発音に近いようです。)


スペインのネバダ山脈の懐に抱かれた町、グラナダ。
町の中央にある小高い丘の上にアランブラ宮殿があります。

711年、イスラム勢力のイベリア半島支配が始まり、カリファト・オメジャ(後ウマイヤ朝)が治めるようになりました。

1031年にカリファト・オメジャが滅亡すると、セビージャやコルドバ、グラナダなど各地に独立小国家が分散する状態に陥いりました。
この独立小国家をタイファと言いますが、そのタイファにも北からゆっくりとゆっくりとキリスト教徒の影が迫って来ました。

1236年にはコルドバがキリスト教徒の手に堕ちると、1238年にはグラナダはスペイン最後のイスラム王朝であるナサリエス〔ナスリ朝(1232〜)〕の王都になりました。
イスラム教徒の領地はいつしか、グラナダを残すのみとなっていましたが、そのグラナダ王国もついに1492年、キリスト教徒の陣門に下ることとなりました。

そんなときに作られたのがこのアランブラ宮殿です。
ナサリエスの始祖ムアマッド1世の治世(在1238〜72年)に建設が開始され、ユスフ1世の治世に一応の完成を見ました。

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グラナダ市南東に連なる丘の上にそびえるアルハンブラ宮殿(出典:Wikipedia)

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アルハンブラ宮殿 ライオンの中庭(出典:Wikipedia)

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アルハンブラ宮殿 アラヤネスの中庭(出典:Wikipedia)

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夜のアルハンブラ宮殿 (出典:Wikipedia)

「赤い城」という意味を持つこの宮殿は、イスラム美術とスペイン文化が融合し、エキゾチックな魅力を持っています。
ですので、このアランブラ宮殿には、今なお多くの外国人観光客が訪れています。

タレガは、はじめて宮殿を訪れたときの印象をこの作品に込めました。
絶えず奏でられるトレモロは、宮殿中に湛えられた”水音”を表現しているとのことでするんるん

砂漠の民であるベドウィン族にとって、”水=砂漠のオアシス”は命のように大事なものであったことはいうまでもありません。

“水”に満ち溢れた庭はコーランの中に現れる永遠の庭“パライソ”、つまり天国の象徴であったことは間違いないでしょうグッド(上向き矢印)



私も高校生時代、音楽の授業でアルペジオ奏法を練習したことがありますが、全くお話になりませんねふらふら

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posted by 田島明徳 at 19:14| Comment(0) | 音楽