神戸水上署によると、男性は理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹(ささいよしき)・副センター長(52)で、近くの神戸市立医療センター中央市民病院に搬送されましたが、同日午前11時3分に死亡が確認されたとのこと。
神戸水上署によると、笹井氏は階段5階の踊り場で、ひも状のもので首をつっていた模様で、県警によると遺書らしきものが見つかっており、自殺を図ったとみているそうです。
笹井氏は新型万能細胞とされた「STAP細胞」論文の筆頭著者である小保方晴子氏(30)の指導役で、論文の責任著者にも名を連ねていました。
1月末の論文発表会見にも小保方氏とともに出席しています。
しかしその後、論文に疑義が示されたことを受けて、論文の撤回に同意していました。
笹井氏は昭和61(1986)年に京都大医学部を卒業し、内科の研修医を経て京大大学院へ進学。神経伝達物質の研究で知られる中西重忠教授(当時)に師事し、博士号を取得しました。
平成10(1998)年には、36歳の若さで京大再生医科学研究所の教授に就任しています。
その後、理研発生・再生科学総合研究センターに移り、23年にはマウスの胚性幹細胞(ES細胞)から立体的な網膜を作製。世界初の成果として注目を集めるなど、日本の再生医療研究で先駆的な役割を果たしていました。
再生医療における日本最高の研究者の一人の訃報として、笹井氏の死は中華人民共和国、大韓民国、更にはアメリカ合衆国や欧州など世界各国でも、衝撃をもって大きく報道されました。
(http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140805/waf14080511010018-n1.htm)
そんな、将に“切れ者”と呼ぶにふさわしい故・笹井博士ですが、四柱推命的にはどのような背景があったのかと気に掛かり、僭越ながら看させて頂きました。
下図が、その命式となります(生時不明)。

一つ目の特徴としましては、一目見てお分かりのように「壬寅(みずのえとら)」という干支が、三柱に並んでいるとても珍しい形式です

年柱・月柱の変通星の並びがともに「比肩」となりますので、これを当流派では“比肩一貴”の並びと呼んでいます。
“比肩一貴”の特徴としては、「比肩」そのものが“自分自身・エゴ”を表しますので、個性が強くマイペースの人が多く、一匹狼的な所があります。
プライドが高く、曲がった事が嫌いで、竹を割ったような性格です。
金銭には余り執着はせず淡白ですが、使うべき時には思いきった使い方をすることもあります。
また苦労強く、多少の困難があってもそれを乗り越える力と、踏ん張りを持っています。
故・笹井博士の生時が不明なため、時柱干支に何が出ていたかは分かりませんが、四柱全ての天干に同一の干が揃った場合には、これを“天元一気(てんげんいっき)”とも言います。
また、干支が四つとも同一の場合は、更に特殊な形となり、これを古来“鳳凰池(ほうおうち)”と呼んでいました。
ちなみに、これが成立するのは10種類の干支に限られ、甲戌・乙酉・丙申・丁未・戊午・己巳・庚辰・辛卯・壬寅・癸亥、となります。
やはり、そのような“特殊才能に秀でた”珍しい命式をお持ちであった訳です

また、“比肩一貴”は同一の天干が並びますので、その天干の性質が大きく反映されますが、故・笹井博士の場合は「壬」となります。さらに、これは“天徳星”でもあります

陽水の「壬」は“大海や大河”を表しますが、特徴としては、情熱的で競争心・決断力・勇気・統率力があります。
また、一旦思い込んだら方針を変えない意志の強さもありますが、偏向する傾向も見受けられます。
クールな所がありながら、急流のような行動力と迫力をもっている人が多い星です。
二つ目の特徴としましては、十二運がすべて「病」となることです。
これは、幼少より病弱であったり、両親と早く生死別することが多い星です。
しかし病弱でも、小学校に上がる頃からは健康体となります。
男性は迫力を欠く風貌ですが、内面は進取性を持ち、意外と気性が激しく短気な面が内在しています。
また、反面、繊細で神経質な面もあります。
基本的にはせかかれたり、アクセク働かされることは嫌いです。
芸能的な面に才能を発揮する人が多い星ですが、医療関係(医者や看護婦など)やボランティア関係に進む方も多い星です。
ということで、一目見て“医療・芸能方面”で非凡な才能を持っている方であったことが分かります

実際、学会の打ち上げではチェロを演奏したり、CDBで開催される国際会議ではバーテンダー役を務めたりする等、マルチタレント振りを発揮されていたそうです

三つ目の特徴としましては、五行図を看てみますと命式が“比肩一貴”だから「比肩星」が大過(星が3個を超えると大過となります)しているかと思えばそうではなく、「食傷星」と同数の3個づづとなっていることです。
これは故・笹井博士が、専ら個人主義でKY(空気読めない)な人だったかというとそうではなく、非常に周りに対して気を使う、配慮のできる方であったことを表しています。
これは、「食傷星」が「比肩星」の“漏気”の位置にある星だからです。
実際、故・笹井博士は理研CDB設立当初からのメンバーであり、「若手が実力を発揮できる研究所を作りたかった」「日本の大学では嫉妬されたり雑用が多かったり、若い研究者が自分の研究室を持ちにくい。CDBは、若手が思いっきり活躍できる研究所にしたい」と語り、CDBの予算獲得や新施設「融合連携イノベーション推進棟」の実現にも尽力されたとのこと。
また、STAP論文に疑義が呈され、論文を撤回したりと混迷状態に陥っていた昨今では、体調が悪いながらも、熱心に研究員の就職先探しや論文指導に取り組まれていたそうです。

上図は、故・笹井博士の大運表ですが、今年の大運は「正財・養」となっていました。
運気的には、“比肩一貴”は「比肩」と尅しあう星、すなわち「財星」が出ると良くありません。
通常の命式であれば、「財星」が巡る時は吉運の場合が多いのですが、“比肩一貴”の場合には、強烈に尅し合いますので気を付けなければなりません。
しかし、故・笹井博士の命式の場合、五行に「食傷星」が多くなっていますので、これが「比肩」と「財星」の間に入る“通関神”となって、相尅を緩和してくれています

ですので、大運としては別段、悪い運気ということはありません。
そうすると、流年の「食神・胎」が良くなかったのか、ということになります。
これも、通常の命式であれば、吉運の場合が多い星です。
しかし、もしも故・笹井博士の命式の時柱に「偏印」が出ていた場合は、話が変わってきます。
なぜならば、「食神」と「偏印」が並ぶと“倒食作用”を起こすからです

これが、今回の事件に結びついた可能性はあります。
お亡くなりになった、今となっては確認のしようもありませんが・・・。
ただ、三柱で看た場合には先にも述べましたように、「比肩」の強い方というのは苦労強く、多少の困難があってもそれを乗り越える力と、踏ん張りを持っています。
確かに本年は、五行に「食傷星」が大過しているので、若干、ナーバスになり易い傾向はあるものの、「財星」もそれなりに多く“漏気”されますし、気の流通も良くなっているので、さほど問題は無いように思われます。
それから考えると、今回の“自殺”というのは、ちょっと解せない部分があるような気がします。
下記に紹介するサイトでは、その他の“不可解な点”を指摘しています。
もし、興味があれば、ご一読下さい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=293568
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=294261
まあ、“自殺”“事件”のいずれにしましても笹井博士がお亡くなりになった事実に変わりはありません。
ご家族ならびに懇意にしていた方々のご心痛は、察するに余り有ります。
以上、四柱推命で看てみましたように、故・笹井博士が医療研究分野において、並外れた能力を持っておられたことは間違いありません

その笹井博士の死去は、日本のみならず世界の再生医療研究にとって、大きな損失であることは確かでしょう

謹んで、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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