2014年08月31日

理研CDBの笹井芳樹博士が死去

5日午前9時ごろ、神戸市中央区港島南町2丁目の先端医療センターの関連施設内で「男性が首をつっている」と関係者から110番通報があったそうです。

神戸水上署によると、男性は理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹(ささいよしき)・副センター長(52)で、近くの神戸市立医療センター中央市民病院に搬送されましたが、同日午前11時3分に死亡が確認されたとのこと。

神戸水上署によると、笹井氏は階段5階の踊り場で、ひも状のもので首をつっていた模様で、県警によると遺書らしきものが見つかっており、自殺を図ったとみているそうです。


笹井氏は新型万能細胞とされた「STAP細胞」論文の筆頭著者である小保方晴子氏(30)の指導役で、論文の責任著者にも名を連ねていました。

1月末の論文発表会見にも小保方氏とともに出席しています。
しかしその後、論文に疑義が示されたことを受けて、論文の撤回に同意していました。

笹井氏は昭和61(1986)年に京都大医学部を卒業し、内科の研修医を経て京大大学院へ進学。神経伝達物質の研究で知られる中西重忠教授(当時)に師事し、博士号を取得しました。

平成10(1998)年には、36歳の若さで京大再生医科学研究所の教授に就任しています。

その後、理研発生・再生科学総合研究センターに移り、23年にはマウスの胚性幹細胞(ES細胞)から立体的な網膜を作製。世界初の成果として注目を集めるなど、日本の再生医療研究で先駆的な役割を果たしていました。

再生医療における日本最高の研究者の一人の訃報として、笹井氏の死は中華人民共和国、大韓民国、更にはアメリカ合衆国や欧州など世界各国でも、衝撃をもって大きく報道されました。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140805/waf14080511010018-n1.htm

そんな、将に“切れ者”と呼ぶにふさわしい故・笹井博士ですが、四柱推命的にはどのような背景があったのかと気に掛かり、僭越ながら看させて頂きました。

下図が、その命式となります(生時不明)。

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一つ目の特徴としましては、一目見てお分かりのように「壬寅(みずのえとら)」という干支が、三柱に並んでいるとても珍しい形式ですあせあせ(飛び散る汗)

年柱・月柱の変通星の並びがともに「比肩」となりますので、これを当流派では“比肩一貴”の並びと呼んでいます。

“比肩一貴”の特徴としては、「比肩」そのものが“自分自身・エゴ”を表しますので、個性が強くマイペースの人が多く、一匹狼的な所があります。

プライドが高く、曲がった事が嫌いで、竹を割ったような性格です。
金銭には余り執着はせず淡白ですが、使うべき時には思いきった使い方をすることもあります。

また苦労強く、多少の困難があってもそれを乗り越える力と、踏ん張りを持っています。

故・笹井博士の生時が不明なため、時柱干支に何が出ていたかは分かりませんが、四柱全ての天干に同一の干が揃った場合には、これを“天元一気(てんげんいっき)”とも言います。

また、干支が四つとも同一の場合は、更に特殊な形となり、これを古来“鳳凰池(ほうおうち)”と呼んでいました。
ちなみに、これが成立するのは10種類の干支に限られ、甲戌・乙酉・丙申・丁未・戊午・己巳・庚辰・辛卯・壬寅・癸亥、となります。

やはり、そのような“特殊才能に秀でた”珍しい命式をお持ちであった訳ですグッド(上向き矢印)

また、“比肩一貴”は同一の天干が並びますので、その天干の性質が大きく反映されますが、故・笹井博士の場合は「壬」となります。さらに、これは“天徳星”でもありますぴかぴか(新しい)

陽水の「壬」は“大海や大河”を表しますが、特徴としては、情熱的で競争心・決断力・勇気・統率力があります。

また、一旦思い込んだら方針を変えない意志の強さもありますが、偏向する傾向も見受けられます。
クールな所がありながら、急流のような行動力と迫力をもっている人が多い星です。


二つ目の特徴としましては、十二運がすべて「病」となることです。

これは、幼少より病弱であったり、両親と早く生死別することが多い星です。
しかし病弱でも、小学校に上がる頃からは健康体となります。

男性は迫力を欠く風貌ですが、内面は進取性を持ち、意外と気性が激しく短気な面が内在しています。

また、反面、繊細で神経質な面もあります。
基本的にはせかかれたり、アクセク働かされることは嫌いです。

芸能的な面に才能を発揮する人が多い星ですが、医療関係(医者や看護婦など)やボランティア関係に進む方も多い星です。

ということで、一目見て“医療・芸能方面”で非凡な才能を持っている方であったことが分かりますグッド(上向き矢印)

実際、学会の打ち上げではチェロを演奏したり、CDBで開催される国際会議ではバーテンダー役を務めたりする等、マルチタレント振りを発揮されていたそうですバー


三つ目の特徴としましては、五行図を看てみますと命式が“比肩一貴”だから「比肩星」が大過(星が3個を超えると大過となります)しているかと思えばそうではなく、「食傷星」と同数の3個づづとなっていることです。

これは故・笹井博士が、専ら個人主義でKY(空気読めない)な人だったかというとそうではなく、非常に周りに対して気を使う、配慮のできる方であったことを表しています。

これは、「食傷星」が「比肩星」の“漏気”の位置にある星だからです。

実際、故・笹井博士は理研CDB設立当初からのメンバーであり、「若手が実力を発揮できる研究所を作りたかった」「日本の大学では嫉妬されたり雑用が多かったり、若い研究者が自分の研究室を持ちにくい。CDBは、若手が思いっきり活躍できる研究所にしたい」と語り、CDBの予算獲得や新施設「融合連携イノベーション推進棟」の実現にも尽力されたとのこと。

また、STAP論文に疑義が呈され、論文を撤回したりと混迷状態に陥っていた昨今では、体調が悪いながらも、熱心に研究員の就職先探しや論文指導に取り組まれていたそうです。

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上図は、故・笹井博士の大運表ですが、今年の大運は「正財・養」となっていました。

運気的には、“比肩一貴”は「比肩」と尅しあう星、すなわち「財星」が出ると良くありません。

通常の命式であれば、「財星」が巡る時は吉運の場合が多いのですが、“比肩一貴”の場合には、強烈に尅し合いますので気を付けなければなりません。

しかし、故・笹井博士の命式の場合、五行に「食傷星」が多くなっていますので、これが「比肩」と「財星」の間に入る“通関神”となって、相尅を緩和してくれていますグッド(上向き矢印)

ですので、大運としては別段、悪い運気ということはありません。


そうすると、流年の「食神・胎」が良くなかったのか、ということになります。
これも、通常の命式であれば、吉運の場合が多い星です。

しかし、もしも故・笹井博士の命式の時柱に「偏印」が出ていた場合は、話が変わってきます。

なぜならば、「食神」と「偏印」が並ぶと“倒食作用”を起こすからですバッド(下向き矢印)
これが、今回の事件に結びついた可能性はあります。

お亡くなりになった、今となっては確認のしようもありませんが・・・。


ただ、三柱で看た場合には先にも述べましたように、「比肩」の強い方というのは苦労強く、多少の困難があってもそれを乗り越える力と、踏ん張りを持っています。

確かに本年は、五行に「食傷星」が大過しているので、若干、ナーバスになり易い傾向はあるものの、「財星」もそれなりに多く“漏気”されますし、気の流通も良くなっているので、さほど問題は無いように思われます。

それから考えると、今回の“自殺”というのは、ちょっと解せない部分があるような気がします。

下記に紹介するサイトでは、その他の“不可解な点”を指摘しています。
もし、興味があれば、ご一読下さい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=293568
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=294261

まあ、“自殺”“事件”のいずれにしましても笹井博士がお亡くなりになった事実に変わりはありません。
ご家族ならびに懇意にしていた方々のご心痛は、察するに余り有ります。


以上、四柱推命で看てみましたように、故・笹井博士が医療研究分野において、並外れた能力を持っておられたことは間違いありませんグッド(上向き矢印)

その笹井博士の死去は、日本のみならず世界の再生医療研究にとって、大きな損失であることは確かでしょうふらふら

謹んで、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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2014年08月01日

ミュージシャンの坂本龍一さん、咽頭がんであることを発表

ミュージシャンの坂本龍一さん(62)に中咽頭(いんとう)がんが見つかったと、所属レコード会社のエイベックスが7月10日、発表しましたexclamation

エイベックスによると、坂本さんは6月上旬にのどに違和感を覚え、同月末に中咽頭がんであるとわかったということ。
年内に予定していた仕事は全てキャンセルし、滞在先のニューヨークで治療に専念するそうです。

坂本さんは「熟慮の末、しばらく治療に専念することにしました。自分の身体あっての仕事ですから、このような苦渋の選択をせざるをえませんでした。必ずきちんと治して戻ってまいります」などとするコメントを発表しました。

坂本さんは、札幌国際芸術祭(19日〜9月28日)のゲストディレクターとして企画や演出を担当し、9月27日にはコンサートも予定していました。
事務局によると、坂本さん側から今月初め、治療に専念するため出演を辞退すると連絡があったとのこと。

坂本さんは1978年に細野晴臣さん、高橋幸宏さんと「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成し、世界的に活躍。映画音楽も手がけ、89年に「ラストエンペラー」でグラミー賞を受賞しています。
http://www.asahi.com/articles/ASG7B2W0TG7BUCLV002.html

坂本さんは言わずと知れた反原発論者ですが、一部メディアで、坂本さんが反原発運動の先頭に立ってきた立場から、放射線治療を拒否していると報道されましたが、どうやらそれは事実ではないようです。


わたしが今回の報道で思い至ったのは、坂本さんといえば、ミュージシャンの故・忌野清志郎さんとも大変懇意にしており、「い・け・な・いルージュマジック」等のコラボレーション作品もある間柄ですが、その清志郎さんは喉頭(こうとう)がんが原因で2009年に亡くなっていることです。

中咽頭と喉頭では、若干部位が異なりますが、同じ咽頭部に属しています。
また、お二人とも“反原発”の立場で活動をされていることも挙げられます。

何か、奇妙な因縁のようなものを感じ、早速、お二人の生年月日を調べてみました。
そうしたところ、生時不明ながら、かなりの“共通点”があることが分かりました。
下図が、その命式となります。

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坂本龍一さん

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忌野清志郎さん

まず、一つ目の共通点としましては、“自分自身”を表すとされる“日干”がお二人とも「壬(みずのえ)」となっていることです。

これは“陽の水”であり、大河や大海に譬えられ、流れてとどまらない強さをもちます。
情熱的で競争心・決断力・勇気・統率力があり、思想や宗教面で衆人を教導し、世の為に徳を積むとされますグッド(上向き矢印)

心は洋々として広く、仁義を重んじ、忠孝の道を尽くします。
しかし、一旦思い込んだら方針を変えない意志の強さがありますが、偏向する傾向も見受けられます。

離婚率が一番高い日干でもありますあせあせ(飛び散る汗)


二つ目の共通点としましては、日柱の十二運が「冠帯」・「長生」と旺相していることです。

しかも、坂本さんの納音が“大海水(だいかいすい)”、清志郎さんが“釼鋒金(じんぽうきん)”と大変運勢的には強いものとなっています。

ですので、お二人とも若い頃から社会的に頭角を現し、活躍できたと言えるでしょうグッド(上向き矢印)


三つ目の共通点としましては、月柱・年柱上の天干星がともに「印綬」となっていることです。

この「印綬」の二並びの形式を、当流派では「多印身弱(たいんみじゃく)」と呼んでいます。

この並びの人の特徴としましては、学問芸能の世界に生きる人が多く、学者・芸能人・アナウンサー・宗教家・易者・相撲取り等の職業につくことが多いものです。

性格は男性としては迫力がなく、優しく人当たりが柔らかい人が多いのですが、表面に比べ、内面には頑固さや拘りがあります。

また、「印綬」はこつこつと努力する星でもあり、人からの援助引き立てもあり、良き理解者に恵まれる“吉星”ですぴかぴか(新しい)
礼節を重んじ端正で上品な星でもあり人の信望が得られます。

多印性の特徴として、物事がくどくなりやすいのが欠点です。
迷いが多く決断ができない場合があり、女性はそのために婚期が遅れる場合があります。
そのため、五行に“より行動力のある”「官星」又は「比肩星」が強い方が、持っている才能を発揮する事が出来ます。

その点、坂本さんの方が五行に「官星」が多く、社会的に表舞台で活躍できる素養を持っていると言えるでしょう。

清志郎さんの方は、五行に「官星」がなく、代わりに「食傷星」が多いため“印綬傷官格”的な並びとなり、より“技芸に秀でる”傾向が強くなっています。

「音楽で生計を立てられなければ絵描きになるしかなかった」と本人が言うほど画才があり、自身のアルバムジャケットや書籍の表紙などを描いていましたアート

毎年恒例の日野高校OB展にも作品を出品し、死後には「個展 忌野清志郎の世界」という展覧会も行われ、画集も発売されています。

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上図は、坂本さんの大運表ですが“逆行4年運”となっています。
そして、今年の大運は「偏財・冠帯」、流年が「食神・胎」となっています。

一般的には、悪くない運気のように思われますが、五行図を見てもらえれば分かるように「財星」が大過していることが見て取れます。

また、坂本さんや清志郎さんのように、「印星」が並ぶ命式の場合、「財星」とは尅し合う関係ですので、問題が発生することがあります。
これが原因で、坂本さんが発病されたものと思われますバッド(下向き矢印)

実際問題として、清志郎さんが喉頭がんで入院した年(2006年)の大運は「傷官・沐浴」、流年が「偏財・冠帯」で、五行的にも「財星」が多い年でした。


しかし、来年には坂本さんの大運は「傷官・沐浴」、流年は「傷官・養」となり「財星」も少なくなります。

また、「乙(きのと)」は坂本さんにとって“天徳星”にあたりますので、きっと治癒され、復活されることだろうと思いますぴかぴか(新しい)

(“天徳星”は、当流派で非常に重要視している吉凶星の一つで、災厄を取り除くと言われている大吉星です。これは、先祖の徳を現わし、行運に巡る場合も災難を除き、幸をもたらすと言われています。)

坂本さんが、その音楽活動や社会活動を通じて、日本や世界に対して果たす役割は、まだまだ沢山あると言うことでしょうグッド(上向き矢印)


以上、簡単に看て見ましたが、お二人の命式が非常に似通っていたために、仲も良かったのではないかと思われます。

坂本さんには是非、志半ばにしてこの世を去った清志郎さんの分まで、頑張って頂きたいものです手(グー)



1982年に、清志郎さんと組んでリリースしたシングル『い・け・な・いルージュマジック』です。
この曲は、資生堂'82春のキャンペーンソングとしてヒットしましたが、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスで話題を呼びました。

この時、私は中学生でしたが「人の目を気にして生きるなんて、下らない事さぁ〜」というフレーズが頭から離れなかったものです。

今あらためて見ると、バブルに向かって突き進んでいた、当時の日本が見て取れるような映像ですねわーい(嬉しい顔)

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posted by 田島明徳 at 21:55| Comment(0) | 四柱推命鑑定例

2014年06月30日

26歳で早逝したミュージシャンの尾崎豊さん

最近、私がファンでもあり、カラオケのレパートリーともしている尾崎豊さんの楽曲を、あらためて聴き直す機会がありましたカラオケ

その尾崎さんですが、1983年12月、18歳になったばかりの時に、シングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』でプロ・デビューを果たしましたぴかぴか(新しい)

破滅的で体当たりなパフォーマンスや自己の内面を抉り出すような赤裸々な歌詞の中で、真実の愛や夢、生きることの意味を追い求め続けます。

学校や社会の不条理に立ち向かう心の叫びのようなその音楽の世界は、1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼び“10代のカリスマ”的存在となりましたグッド(上向き矢印)

4thシングル『卒業』が大ヒットを記録。
その後も、『I LOVE YOU』『OH MY LITTLE GIRL』『僕が僕であるために』などヒット曲を連発します。

その活動と作品・精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは、亡くなってから20年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンからリスペクトされ続けています。

1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、当時、社会的にも大きな衝撃を与えましたがく〜(落胆した顔)

実際、1ヶ月にも及び、民放のみならずNHKも含めたテレビ各局は連日のように尾崎さんの特集を組みましたし、雨の降る中、東京都文京区の護国寺にて行われた葬儀・追悼式では、参列者は4万人近くに上ったそうです。

死後20年を過ぎてもなお、尾崎さんを慕うものは絶えず、新たなファンを生んでおり、彼が遺した曲の数々は多くのアーティストにカバーされていますグッド(上向き矢印)


そんな、波乱に満ちた尾崎さんの生涯でしたが、四柱推命的には、一体どのような背景があったのかと気に掛かり、早速、生年月日を調べてみました。

そうしたところ、出生時刻に関する情報もありましたが、卯刻(5〜7時)説と辰刻(7〜9時)説があり、より適合すると思われる“卯刻”を採用しました。

下図が、その命式となります。

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一つ目の特徴としては、日柱天干が「丁(ひのと)」となりますが、これは陰の火で、“灯火・人工の火”に譬えられますひらめき

一般的に、我々人類の文明が“火”を使うことによって進化してきたと言われているように、「丁」には“文化・文明・学問・啓蒙等”の意味合いがあります。

尾崎さんは、その音楽作品・パフォーマンスを通じて、一時代の若者の“思想的・精神的なリーダー”であったことは言うまでもありませんグッド(上向き矢印)


二つ目の特徴としては、日柱干支が「丁亥」となり、これは別名”屋上土(おくじょうど)”と言われています。
これは屋根の上の土という意味で、この土は大地に帰る事がないとされますので、“孤独性”を意味しています。

土は墓庫ともなり、堅実に財を築いて行く理財・利殖の才を持っています。
しかし、マイナス点としては吝嗇・けち・物を惜しみをする傾向があり、その為に人に良く思われず、人が自分から離れて行ってしまい孤独となりやすいので、その点に注意が必要です。

人に親切を尽くし、人に徳を蒔かないと孤独になってしまうよ、という星です。
そうしないと、本人には悪気はなくても、人間関係で引っかかり、寂しく侘しい人生になりやすいものです。

また、十二運が「胎」となりますので、子供の頃は甘えん坊で、長く親の手が掛かり、独立するのが遅くなります。
しかし、幼児期には病気がちであっても、やがては健康は回復します。

長じて実力がつくにつれ、個性的な人となりますが、同時に融通が利かなくなる傾向もあります。
そして、他人とは違う独自路線の“一匹狼的な傾向と個性”が顕われやすいものです。


三つ目の特徴としては、月柱・時柱の並びが「比肩」・「偏官」となり、この比肩星に官星が混じった星の並びを当流派では“官殺混雑”と呼んでいます。

一見すると紳士淑女風で、おとなしそうですが、言い出したら聞かないところがあります。
好き嫌いがはっきりしていて、物事の白黒をハッキリさせようとするタイプです。

プライドと責任感・正義感が強く、人に指図されることが余り好きではありません。
四柱や五行に、印星や財星が少ないと、おっちょこちょいになってしまいます。

好奇心も旺盛で、一年中忙しい人です。
行動力があり、じっとしていられないので、デスクワークよりも外交等の動き回る仕事がの方が向いています。


四つ目の特徴としては、年上天干星が「偏印」となり、十二運も「帝旺」と極旺しています。

「偏印」は“学問・芸能”を表す星で頭脳的な面が強く、内的・精神的世界に関心を持つ傾向から思想性や宗教性の強い星ですぴかぴか(新しい)同時に放浪癖の暗示もある星です。

また、「偏印」は数理という意味もあり数字を扱う仕事やコンピュータ等の技術職に携わっている人も多くいます。
人とは少し角度の違う見方をもっているのでアイデアマンであったり、人の気づかない事に気づく才能もあります。

しかし、「偏印」には“病気”という意味もあるので慢性病に注意が必要であり、特に「食神」と並ぶと“倒食”となり、「食神」の福禄を壊してしまい、人生ままならなくなります。
歳を取ると口うるさくなる点と、終始一貫性に欠けるのが「偏印」の欠点です。

この「偏印・帝旺」が尾崎さんをして、ミュージシャンとして成功させた、一番重要な要素だったと言ってもいいでしょうグッド(上向き矢印)

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上図は、尾崎さんの大運表となりますが“逆行・7年運”となっています。

1979年(14歳)から「偏印・長生」の大運に入っていますが、この年に初めて仲間とバンドを組み、ある意味“芸能活動”を開始しています。


1982年 流年が「正官・養」

10月11日、CBSソニーのオーディション『CBS SONY Sound Development Audition 1982』にて「ダンスホール」と「もうおまえしか見えない」を歌う。

11月20日、オーディションに合格。辻仁成と共に、1982年の最優秀アーティスト賞に選出される。


1983年 流年が「偏官・胎」

12月1日、アルバム『十七歳の地図』、シングル「15の夜」でプロデビュー。


1985年 流年が「偏印・墓」、「巳酉丑」の金局で「財星」が現れ、“財官印三宝”となり好運気を予想させる。

1月21日、シングル「卒業」がオリコンチャート初登場で20位を獲得、歌詞の一部の過激な表現が話題となる。

3月21日、2枚目のオリジナル・アルバム『回帰線』が初登場1位を獲得する。

3月、渡米。約1ヶ月の休暇をニューヨークで過ごす。

8月25日、初の単独野外スタジアムライブとなった大阪球場での公演で、2万6000人を動員する。

11月14日・15日、代々木オリンピックプール第一体育館にてライブを行い、2日間で3万人を動員する。

11月28日、20歳の誕生日前日に10代最後となる3枚目のオリジナル・アルバム『壊れた扉から』をリリースする。


1986年 この年から、大運が「印綬・沐浴」に、流年は「劫財・死」
「沐浴」の“荒れる運”が現象し始める。

1月1日、福岡国際センターにてライブを行う。このライブ後に“無期限活動停止”を発表。

6月9日、単身でニューヨークへ渡る。

12月23日、日本に帰国。


1987年 流年は「比肩・病」

2月10日、CBSソニーから新レーベル・MOTHER&CHILDRENに移籍。同レーベルにはHOUND DOGも所属していた。

7月1日、1年と7ヶ月ぶりのライブツアーがスタート。

8月29日・30日、有明コロシアムで公演。2日間で約2万人を動員する。

9月28日、公演会場に入るも、ライブ前に倒れ、帰国後初のライブツアーが中止。

10月21日、初のライブ・アルバム『LAST TEENAGE APPEARANCE』をリリースする。

12月22日、覚せい剤取締法違反で逮捕。


1988年 流年は「傷官・衰」

1月11日、覚せい剤取締法違反で起訴。

1月21・22・25・26日に予定されていた初の日本武道館公演が幻に終わる。

2月22日、東京地方裁判所刑事11部第531号法廷にて、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決が下される。午後1時30分ごろに東京拘置所から釈放。

5月12日、繁美夫人と入籍。

6月22日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に最初で最後のテレビ出演。同月21日に発売された新曲「太陽の破片」を歌う。

9月1日、度重なる発売延期を乗り越え、4枚目のオリジナル・アルバム『街路樹』をリリースする。

9月12日、東京ドームで一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」を行い、5万6000人を動員する。


1989年 流年は「食神・帝旺」

7月24日、長男・尾崎裕哉が誕生。


1990年 流年は「正財・建禄」

1月、所属事務所をデビューから在籍していたマザーエンタープライズから浜田省吾の在籍するROAD & SKYに移籍する。

10月21日、レコード会社を再びCBSソニーに移籍。

11月15日、5枚目のオリジナル・アルバム『誕生』(2枚組)をリリースする。

12月19日、個人事務所・ISOTOPE(アイソトープ)設立。


1991年 流年は「偏財・冠帯」、「亥卯未」の木局で「印星」が現れる。

3月、雑誌『月刊カドカワ』での対談がきっかけとなった女優・斉藤由貴との不倫が発覚。その後10月に別離したことが報じられる。

3月、公式ファンクラブ「Edge Of Street」設立。

3月21日、シングル「I LOVE YOU」をリリースする。JR東海のCMに使用され、話題になる。

5月20日、3年ぶりのライブツアーが横浜アリーナでスタート。

10月30日、代々木オリンピックプールにてライブを行う。結果的にこれが生涯最後のライブとなった。生前最後に歌った曲はオーディションでも歌われた「ダンスホール」。

12月29日、母親が急死。「印星」とくに「印綬」は“母親”の象意がある。


1992年 流年は「正官・沐浴」、いわゆる“大運の最後っ屁”の年。
大運の最後の年には、その天干星の象意がより強く現れると言われています。
また、大運・流年ともに荒れる“沐浴”の十二運となっています。

4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭にて泥酔状態で発見され、警察に通報される。
救急車で墨田区の病院に運ばれ診察を受け、妻と兄と共に自宅マンションに帰宅する。

その後、夫人・兄・マネージャーが見守る中、自宅マンションで暴れたり眠ったりを繰りかえしながら、突如危篤状態となり、救急車で日本医科大学の緊急病棟に収容される。

蘇生措置がされるが午後0時6分死亡。享年27(満26歳)。
死因は泥酔(あるいは薬物中毒)による肺水腫。

4月30日、東京都文京区の護国寺で行われた追悼式には3万7500人ものファンが詰め掛ける。


以上、尾崎さんの略歴を振り返ってみましたが、ほぼ「大運・流年」の象意通りの流れとなっていることには、驚かされます。
この行運の正確さは、安田流四柱推命の真骨頂でもあります。


さらに突っ込んで看ますと、尾崎さんの命式において、日支・月支の「亥」が「天乙貴人」となっていますが、この星は、“聡明で、身に品位が有り卑しからず、人の引立てを受けて発達する。凶を吉化する徳がある”と言われています。

しかし、この「天乙貴人」は“刑冲を嫌い、合する事を喜ぶ”とも言われます。
日支・月支の「亥」が自刑、年支の「巳」と日支・月支の「亥」が冲となることから、この効力を発揮できなかったようですバッド(下向き矢印)


また、死因に関して“他殺説”が取り沙汰されることもありますが、生時と生月との関係から導き出す「命宮」という看法でみますと、これが「偏印・病」となります。

この「命宮」は、“人生の帰趨”として判断する事ができますから、他殺ではなく、“病あるいは中毒”で亡くなられた可能性が高いものと思われます。


いずれにしても、亡くなられた年が、一番の山場と言うか、困難な年であったことは確かでしょうバッド(下向き矢印)

しかし、それ以降の大運を見てみると、まだまだ運気的には活躍が期待できるものとなっていますので、非常に惜しまれるところですふらふら

将に流星のごとく、激しく燃焼し、駆け抜けた一生でした。
尾崎さんの後世に遺された、その作品・魂の叫びの影響力に敬意を表しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。



この「太陽の破片」は、覚せい剤取締法違反で逮捕・起訴後の復帰曲で、「太陽の破片」と言う言葉は、作家の村上龍氏の小説に書いてあったものらしく“涙”の比喩とのこと。

与えよ、さらば与えられん
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2014年05月28日

実業家でネオヒルズ族の与沢翼さん

「ネオヒルズ族」の一人で、株式会社YOZAWA TSUBASA Holdings・株式会社フリーエージェントスタイルホールディングス代表取締役社長の与沢翼(よざわつばさ)さん(32)が、2014年4月26日、自身のFacebook上で「資金が完全にショートした」とし、フリーエージェントスタイルホールディングスが破たん状態にあることを明らかにしましたexclamation

インターネットの広告事業やネットでおカネを稼ぐ方法を教える情報商材ビジネスで年商50億円、月収数億円(自称)を稼ぐ「ネオヒルズ族」として、わが世の春を謳歌(おうか)していた与沢さんですが、4月26日、突如Facebook上で、「資金が完全にショートした」と懺悔(ざんげ)することとなってしまいましたたらーっ(汗)

しかしながら、アメブロのアクセス数が総合1位になるなど、大きなニュースになる中、与沢さんが「秒速ショート」の詳細を語っています。
六本木ヒルズから新宿の公園へ――、転落は秒速を超えていた。
「弊社のお客様からの入金などを担当していたカード決済代行会社が、突然倒産したと言ってきた。そこに入ってくる売り上げを支払いに回す計画だったので、その瞬間、『死んだな!』と悟りました。
どう考えても怪しい倒産で、弊社のカネを持ち逃げしている可能性もある。なんとか債権を取り戻さなければ......」
毎晩100万円を飲み代に費やし、小銭はジャマだからゴミ箱に捨てる。長野でソバを食うためにヘリコプターをチャーターし、芸能人やセレブたちと競い合ってカネを遣(つか)う――
色と欲にまみれた日々は、与沢氏の目を曇らせていた。
「まったくもって経営者失格だったんです。役員が勝手に20代の女の子を月50万円で雇ったり、会社のカネで株の学校に通ったり、僕が買ったブランド品をこっそり質屋に流すやつがいたり......
会社とは名ばかりの無法状態に陥っていた」
そう言って与沢氏は童顔を歪(ゆが)めた。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140509-00010000-friday-ent

ただし、事業は継続し残債を全て支払うとしているとのことで、今後に向けての決意の程を、こちらで語っています。
【概略】
2013年8月期決算の法人税、住民税、及び事業税2億5千305万の支払いのうち約1億1千万円並びに2012年8月期の修正申告分の税として8940万7200円を追加で計約2億円支払い、並びに2014年8月期決算予定納税の一部を支払い、フリーエージェントスタイルの資金が完全にショートしました。
そのため、今日時点において、既にフェラーリ、ロールスロイス、ベントレー3台を売却し、住宅なども全て解約しております。
また、今の資金量に照らし会社全体に膨大な経費がかかっており、返済余力が今後生じないと判断し、月額500万円の固定家賃削減のため、フリーエージェントスタイル本社の黒崎ビル(六本木4−1−4)を4月30日付けで退去致します。
今後は、西新宿のアイランドタワー41階別のグループ会社内に移転し、FASともどもグループ全体の再建を図っていきます。
なお、フリーエージェントスタイルは破産せず、残額の税等を全て支払うため、最後まで諦めず、少数ながら私の独力を中心に、事業を継続致します。
滞納1億超ということで国税から管理を受けており、現在連絡を取り合い、支払いを継続しております。
http://ameblo.jp/yozawa-blog/entry-11834514071.html

幼少期は、祖父母の経営する旅館でお手伝いをし、伝票の付け方や接客を学び、中学生時代から、商売に目覚め、高校生の時には月収150万円を稼ぎ出したこともあるそうです。

大学3年になり、ホリエモンを知ったことをきっかけに、当時、経済産業省が主催するビジネスコンテストにエントリーして数千名の応募から3名しか選ばれない優秀賞を受賞しましたグッド(上向き矢印)

優秀賞をきっかけに、年商120億円の社長のかばん持ちをすることになり、弁護士になるか起業家になるか非常に悩んだあげく、過去の事例に評価を加えていく法律家よりも未来をつくっていく起業家を選択したとのこと。

2006年、エスラグジュール株式会社を設立。わずか3年半で月商1億円を超えるネット通販会社に育てましたが、2011年に倒産バッド(下向き矢印)

しかし、現在のインターネットビジネスで、倒産後半年に関わらず個人で5億円を稼ぎ出すことに成功していますグッド(上向き矢印)

そんな、いかにも商売することに宿命付けられた与沢さんですが、四柱推命的にはどのような背景があるのかと気になり、早速、生年月日を調べてみました。

下図が、その命式となります(生時不明)。

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一つ目の特徴としては、日柱干支が「戊戌(つちのえいぬ)」となり、これは別名“平地木(へいちもく)”といわれています。

「平地木」は原野に樹木がすくすくと育つという意味になります。
四柱・五行さえ良ければ、どんどん杉の木が伸びて行くような、非常にすっきりしたものが出て来ます。
「平地木」の人は俗に言う悪運が強い星です。即ち運気は力強く発達すると言う意味となりますグッド(上向き矢印)

十二運は「墓」は若いときには苦労がありますが、やがては納音が「平地木」なので、運気は発展します。
一見地味なようですが、内面に頑固な面があります。

また、「戊戌」は「魁ごう」となります。
「魁ごう」日生まれで、身が旺ずる人は運気が強く、社会的には事業家として大きく発展し、性格は聡明で、文章力があり、諸芸はよく神に通ずと言われていますグッド(上向き矢印)
さらには、果断で進取的であるともされます。

しかし、この「魁ごう」は、有名を馳せれば事故などで死亡する事が有るとも言われる特殊な星です。
女性にあるよりも男性にある方が生命的な凶作用が出やすいのですが、四柱如何によっては、女性でも生命的な凶作用を表すこともあります。

また、「魁ごう」の人は、目がきつかったりと目に特長がある人が多いものです。

実際、与沢さんのブログ等、読んで見られると分かりますが、非常に文章力がありますねグッド(上向き矢印)
これなどは、将に「魁ごう」の証であろうと思われます。


二つ目の特徴としては、月柱・年柱の並びが「傷官」・「偏財」となり、この「傷官」に「財星」が並ぶ形式を当流派では“傷官生財格”と呼んでいます。

この並びは、“無から有を生み出す”という意味があり、財運と商才に恵まれますグッド(上向き矢印)
目先がきき、損か得かの観念が発達している星で多くは商売や営業を好みますが、五行に比肩星が大過していると、自信家の為に、結局財を流してしまいやすくなりますバッド(下向き矢印)

実際、与沢さんの五行図を見てもらえると分かりますが、「比肩星」のところの星の数が3個と、大過ではありませんが多いですので、“結局財を流してしまいやすい”傾向にあることは確かでしょう。

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上図は、与沢さんの大運表となります。

2011年、アパレル関連の通販事業で一度、倒産されていますが、大運「偏官・長生」、流年「傷官・沐浴」という「偏官」と「傷官」という、最も尅し合う力の強い年に起きた出来事でした。(また、“荒れる運”の「沐浴」でもあります。)

通常、「官星」の運気は“仕事、社会的地位・名誉”を表すわけですから、良い運気と考えること普通です。

しかし、与沢さんの場合、日干が“土(戊・己)”となっており、「傷官」は“金(庚・辛)”となります。
この場合、「傷官」が“金”・「官星」が“木”となり、“金尅木”の最も激しい尅となってしまうため“官去って吉”と言われているのですバッド(下向き矢印)


その後、インターネット関連事業で再興を果たされた訳ですが、2012年の流年「偏財・冠帯」、2013年の流年「正財・建禄」と財星が旺相しており、“秒速で1億円稼ぐ”と我が世の春を謳歌するには最高の運気だったといえるでしょうグッド(上向き矢印)


そして、今年(2014年)の運気は、大運「偏官・長生」、流年「偏官・帝旺」とダブルで「偏官」が並び、しかも旺相しています。

これらは、先程も述べたように、与沢さんの中心星である「傷官」と猛烈に尅し合いますから、今回のような“大トラブルの発生”ということになってしまいましたバッド(下向き矢印)

しかも、「官星」には“国家権力”という意味合いもあり、これは“国税局”に踏み込まれたという出来事と一致していますたらーっ(汗)


以上、簡単に看て見ましたが、生時が不明のため不確定な要素は多いものの、与沢さんのこれまで辿ってきた人生に関して、粗方、解き明かせたのではないかと思います。

さて、そんな与沢さんですが、オフィシャル・ブログで次のようにも述べています。
「私は、身勝手ですが、自分の想像しうる欲は全部経験させてもらって、煩悩ってどういうものなのか自分なりにわかりました。

永遠に欲は満たされないし、繰り返されるだけなので、欲のど真ん中にいて、それを行動原理にしても辛いだけですね。
欲のセンターピンからずれて生きてた方が幸せです。

そして、今は飾らなくていいので、非常に楽になりました。
ご迷惑をおかけしました。」

仏教でも、煩悩というものは“底の抜けた器に、水を満たそうとすること”と同じで、永遠に満たされることの無いものだと言われています。
まさに、一握りの人しかできない貴重な経験をされたようです。

しかしながら、今までの与沢さんは、お金を“稼ぐ能力”は非常に持っていたけれど、それを“管理する能力”に関しては、いま一つであったと言うことができるでしょう。

それらを、実体験から痛切に味わった与沢さんの、今後の復活ならびにご活躍を期待したいと思いますわーい(嬉しい顔)

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posted by 田島明徳 at 21:03| Comment(0) | 四柱推命鑑定例

2014年04月30日

歌手・作詞家・俳優の一青窈さん

桜の季節も終わり、ここ群馬県伊勢崎市界隈では“ハナミズキ”が今を盛りと咲き誇っていまするんるん

日米友好ムードを醸成するためか、最近とみに、街路樹として植樹されることが多くなったようで、盛んに目にするようになりました。

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“ハナミズキ”の名は、ミズキの仲間で花が目立つことに由来するそうで、また、アメリカヤマボウシの別名は、アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることからとのこと。

ただし、花びらのように見えるのは総苞(そうほう)と呼ばれる、つぼみを包んでいた葉の変化した部分で、実際の花序(かじょ)は、中心の塊になった直径5mm程度の目立たない花が集合している部分だそうですたらーっ(汗)


私にとって“ハナミズキ”と聞いて思い出すのは、何といっても一青窈(ひととよう)さんの楽曲ですわーい(嬉しい顔)
実際2004年に、ベストヒット歌謡祭ゴールドアーティスト賞・日本有線大賞優秀賞を受賞されていますね。

この曲は、2001年9月11日におきた米国同時多発テロをうけ、平和を願い書いた詞だったとのことで、一週間ほどで書き上げたそうですグッド(上向き矢印)

また、この曲のモチーフとなっているのが、かつて明治45年(1912年)に当時の尾崎行雄東京市長が米国に“サクラ(ソメイヨシノ)”を寄贈した返礼として、大正4年(1915年)と大正6年(1917年)に米国から“ハナミズキ”が贈られてきたという故事であるそうです。

この時、日本から贈呈した“サクラ”は、ワシントンのポトマック河畔のサクラ並木として名所となり日米友好交流の象徴となっています。
このような背景を持つ、意味深な歌詞の“ハナミズキ”ですが、今でも多くの人々の心を捉えて止まないようですグッド(上向き矢印)

そんな感動的な作詞の能力や、歌唱力のある一青窈さんですが、四柱推命的にはどのような背景があるのかと気に掛かり、早速、生年月日を調べてみました。

以下が、その命式となります(生時不明)。

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一つ目の特徴としましては、日柱天干が「乙(きのと)」となっていますが、これは“天干従化”という看法によると“作傷官(なすしょうかん)”となります。

これは、天干星で言ったら「傷官」のような働きがあるということですから、当然、繊細な感受性を持っており、特殊才能で生きて行く方が多くなります。

また、「乙」の下に「女」を付けると「おとめ」となりますから、“想像力・理想主義・温和・柔軟性”を司り、女性には良い日干ですグッド(上向き矢印)


二つ目の特徴としては、日柱干支が「乙亥(きのとい)」となり、これは別名”山頭火(さんとうか)”といわれています。

日支の戌亥(乾)は「天門」と称して、これに納音が火性となることによって、天の門に火が高く燃え上がり、光が高きに至るという象意を表しています。
従って、非常に活気がある状態であるということですグッド(上向き矢印)

十二運が「死」となってはいますが、“山頭火”という強い納音となっているので、決して運勢が弱いという訳ではありません。
四柱や大運にもよりますが、基本的に同じ“山頭火”の「甲戌」に比べると、運気の発展が遅い傾向にありますが、中年以降からは安定して行きます。

職業的には技術的な方面に才能を伸ばす人が多く、女性は美容師・デザイナー・手芸関係等で世に出ていく人も多い干支です。
四柱の変通星に印綬・傷官の才能の星が並出し、ある程度比肩星が強ければ、世に出て成功する形になります。

ただし、注意すべき事は、人に媚びることが出来ず、やや人間関係が下手なので、その点で苦労をする人が多いものですバッド(下向き矢印)

女性は運気的には悪くないのですが、やはり異性問題のしがらみが出てきます。
男性に対する好き嫌いがあるので、結婚が遅れる傾向もあり、出来れば早く結婚して子供を作ることが理想となります。

これらも、ほぼ言い当てているものと思います。
一青窈さんは、まだ、結婚されていないと思いますが(かつて、不倫報道があったようです)、この辺りに原因があるのかも知れませんね。


三つ目の特徴としては、月柱・時柱の並びが「食神」・「傷官」となり、この食傷星が並ぶ形式を当流派では“仮傷官(かしょうかん)”と呼んでいます。

この意味するところは、本来“成財・人気運”を司り“福禄の星”である「食神」が「傷官」と並ぶことによって、その本来の性質は残しながらも、“傷官化”してしまう(仮面を被ってしまう)ということです。

性格としては、非常に感受性が強く、人の心を見抜いてしまうところがあります。

また、理想が高く、時に妥協しないので、トラブルの元となることがあります。
この並びは、野球のイチロー選手の様に特殊な才能に恵まれる並びですグッド(上向き矢印)

感覚的なものが鋭いので、人を傷つけ、自分も傷つきやすいデリケートな神経をもった並びです。
強そうですが、壁にぶつかると弱いところがあるので、子供の頃からスポーツなどをして精神面を鍛えることが大切となります。

基本的に、流年・大運が「財星」の時に運気が上昇します。
また、流年・大運の「官星」の時に凶事(怪我事故や社会的問題)がおこりやすいので注意して下さい。

一青窈さんは、小学校高学年の頃、宮沢賢治の詩に触発され、詩を書き始めたそうで、2002年「もらい泣き」でデビューしたきっかけも、これらの書きためていた詩がレコード会社の目に留まったことだったそうです。

これらはまさに“仮傷官”のなせる業ということができるでしょうグッド(上向き矢印)
さらにいうと、顔立ちを見ましても、あごの尖った“傷官美人”タイプといえそうですキスマーク


四つ目の特徴としては、四柱の天干に“乙・丙・丁”が並び「地下の三奇」となっていることです。

「三奇」とは人間の願望である福禄寿を併せ司る神で、「三奇」が命式中に揃えば“精明にして常人と異なる・卓越・博学・多才・多能・探究心がある・志が大きい”等、逸材であるとされてきました。

また、「三奇」が年月日、または月日時と続けて出て順となれば、“貴・清・秀”が備わり、“人の長たり得る”ともされていますぴかぴか(新しい)

芸能界に彗星のように現れ、大ヒットを飛ばした背景には、この「三奇」の力があったのかもしれませんね。

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上図は、一青窈さんの大運表となりますが、2002年「もらい泣き」でデビュー、同曲がヒットし、ファーストアルバム『月天心』で大ブレイクグッド(上向き矢印)
それにより、数々の音楽賞や新人賞を受賞されたわけですが、大運「偏印・沐浴」の“倒食”期間が終わり、「印綬・冠帯」というまさに“過去の業績が評価される”期間に起きた出来事であったことが分かります。

しかし、それまでの幼少期・青年期は“荒れる”運気で、幼稚園卒園後の台湾から日本への移住、小学校2年の時に父親を癌で亡くす、高校生の時に母親も癌で亡くす等、数々の試練をくぐり抜けて来られていました。


以上、簡単に一青窈さんの命式を看て見ましたが、ある意味、分かりやすい例ではあったなと思います。

大運表によりますと、少なくとも数えで50歳までは好運気が続くことが期待できますので、今後益々、多方面で活躍されることを期待したいと思いますわーい(嬉しい顔)




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posted by 田島明徳 at 20:07| Comment(0) | 四柱推命鑑定例